若きウェルテル柴山の悩み その2
2014年11月28日~12月1日(渡豪10か月目・ラウンド6か月目)のやりとり。
田村さん→柴山
柴山さん こんちわ~
レスありがとうございました。なんて、まあ、飲み込みが早い。
これも最初から感心しているのですけど、将棋でいえば、正着の手が示されてからの理解力は、破格のものがありますね。
それは、二つあって、一つは地頭の良さです。これは言うまでもないけど。
でも、もっと原因になるのは、いわゆるクソプライドがないことですね。その論理が正しいかどうか、その全体構造がより普遍性を持つか(=正しいってことの別の表現だけど)、それだけを純粋に考えられる。
普通は、大なり小なり、「この俺様の考えにケチをつけようってのか」って、「俺様をいい気分にさせてくれること=正しい」、その逆=間違っているという、しょーもない論理歪曲要素が入ってくるんですけど、柴山さんの場合、見事にそれはないですね。何度もいうけど、これは稀有な資質として大事にしてください。
でもって、じゃあ、問題はなにかといえば、創造性なんだよね(笑)。
将棋でもハガキ職人でもその他なんでも、型を離れて自分の世界を繰り広げるのが出来ず、その前の段階から前進できずにいました。
うん、多分そうなんだと思う。二段までいけるけど三段にいけないのとか言ってたけど、そこに壁があるんだろうな~。
だとしたら、そこにフォーカス当ててみたらどうでしょうか?
つまり、「創造性~!」って高らかに叫んでも、話は一歩も前に進まないと思うのですよ。
お書きになっているように、「わかったと思ったことの再検証」はとりあえず大事だからやるとしても、、、
より本質を掘り下げて、「創造性ってなに?」「なんで既存パターンで物事を解釈してしまおうとするのか」だと思います。これは日がな一日あーでもないって考えてください。
例えば、一つの切り込み口としては、僕が思うに創造性というものの一面は、「目の前の現実を徹底的に見ること」だと思います。逆にいえば「記号処理」をしない、ってことです。
記号処理というのは、NHKのニュースの紋切り表現で「GW最終日のこの日、行楽地では家族連れが思い思いに楽しんでいました」というものの見方です。
リアルにみたら、実は家族連れなんかどこにいるんか?ってことかもしれないし、家族連れでも壮烈な夫婦げんかして子供たちが青い顔をしてとぼとぼ後を歩いているだけかもしれんし、一家心中の下調べに来ているだけかもしれないし、、、
だから、表現としては
「GWに家族でどっか行けばとりあえず家族サービスをしているファミリーな俺になれるぞという自己満足欲にかられた旦那と、それでも利用できるものは利用してやれって実はしたたかに計算した上で、無邪気なふりを装ってる子どもたちと、、、」
といういい方もできるのですね。かなり穿って、心が歪んだ見方だけどさ(笑)。
でも、そのあたりの現実をみずに、「楽しんでました」って情報処理しちゃうところが記号処理なのよね。「これはこーゆーものなの」って概念がキツすぎて、なんでもその概念にあてはめてものをみて、それで納得して、わかった気になろうとする、、、
ね、わかります?
GWをワーホリに置き換えてみたらいいわけですし、就活だってそうです。
ワーホリってこういうものって固定概念=記号が強い時は、目の前の物事をちゃんと見てないってことだと思うのです。
だから創造性というのは、頭や概念で処理しないことだと思います。創造性の全てがそうだとは言わないけど、その属性としてはそういうのがあると思う。
だから、目の前のものをそのままストレートに見て、なんか感じる。
なんか感じるけど、既存の概念や言葉では説明も表現もできない、どれも違う。でもなんか感じる。
それって何よ?でもすごい大事な感情のような気がする、、、それを何とかして表現したいってところから、つまり固定概念や既存の知識ではどうしようもないものをまず発見するからこそ、「自前でそれを表現する方法を見つけるしか無い」ってことになり、それが創造性になると思うのですね。
だとしたら、まずは目の前のものを、そのまんま、自分の既存の知識で「汚染」させないで、まずはそのまんま見るって練習をしたらいいかもしれません。これはフラッシュアイディアですけど、。
---------
さて、これもラウンド通信に載せましょうか?
あまりにかっちょ悪いからやめますか(笑)
でも、柴山さんだけの問題じゃないと思うのね。てか、あなたは皆の代表者として、無邪気に発言して、ボコられて、それで皆の代表者として学んで、その成果をオーディエンス(皆)は学んでいるように思います。なんか知らんけどそういう役どころになっているという(笑)。
いずれにせよ、だんだん見えてきたって感じはしますよね。
がんばれ~
柴山→田村さん
田村さん
素早くお返事いただきありがとうございます。昨晩はこのことで頭がいっぱいだったので、助かりました。
でも、もっと原因になるのは、いわゆるクソプライドがないことですね。
柴山さんの場合、見事にそれはないですね。
これは自分でも自覚していて、昔から表裏一体じゃないかと思うんです。
良く言えば歪曲がないんですけど、悪く言えば個性がない。でも、なぜか代わりに吸収力はある。だから改善はするんだけど、何をしても自分らしさが生まれず、結果的に創造性の欠如につながっているというのは、ずっと昔から感じています。そのせいで、自分自身が他人の寄せ集めのように思えることがあります。
でもどうしたらいいか全然分からなくて、いつの間にか自分には無理!と諦めてここまで来てしまいました。「創造」と言ったって、知らないことを知ることは不可能だし、芸術家やミュージシャンだって「○○をイメージして作りました」って言うくらいなんだから、ゼロからイチを生み出しているわけではないって自分に言い訳していました。
でも、せっかくのチャンスなので、ダメ元で頭と体を動かしてみようと思います。
ただ、仮にシドニーに帰るとして新しく何をしようかと昨晩考えてみたのですが、思いつくことすべてがすでに知っていることでした。
住むところ→シェアorバッパー
お金が必要→ジャパレスorローカル
今までと同じじゃんって。
これまで最大の難敵から目を逸らしていたので、久しぶりに対面して若干憂鬱です。
それと、中島さんにも相談メールを送りました。ウーフが終わってシドニーに帰還~健康食品ビジネスの間のやることがなくなった時期に、どんな心境だったか知りたかったからです。ちょうど掲示板に名前を出してもらったので、いいタイミングでした。
中島さんは返信メールの中で、オーストラリアと日本の違いを力説して「最後まで堪能すべし」とアドバイスをくださいました。オーストラリアにいることのありがたみを忘れていたので、成田空港で飛行機に乗りこんだときのワクワクを思い出しました。
それと「何もしないことに挑戦してみては?」との提案も頂きました。昨晩は「シドニーで新しいことをするにはどうしたらいいだろうか」とずっと悩んでいたので、この提案にはハッとさせられました。大事なヒントがこの中にある気がします。
より本質を掘り下げて、「創造性ってなに?」「なんで既存パターンで物事を解釈してしまおうとするのか」だと思います。
既存パターンで解釈するのは、ラクだし安心できるからだと思います。
ちょっと違う例かもしれませんが、本を読むときは同じ作家の本ばかり読むのですが、それは「この人の本は面白い」って安心感があるからです。他の作家に手を出して面白くなかった場合に、時間やお金が無駄になるのが怖いです。好きな作家の本を読破したら、しばらく読書からは遠のき、ひょんなことから面白い作家が見つかったらまた読書の毎日が始まる、の繰り返しです。
例えば、一つの切り込み口としては、僕が思うに創造性というものの一面は、「目の前の現実を徹底的に見ること」だと思います。逆にいえば「記号処理」をしない、ってことです。
記号処理しないときもあるのですが…
例えば人間が相手なら記号処理しません。相手が何人かは全く気にしない(アクセントは気にするけど)ので、ラウンド中に会った人の半分はどこ出身か覚えてません。単純に一緒にいて居心地が良いかどうかしか気にしません。
逆に記号処理されるのはもちろん嫌いです。先月会った日本人が、本人曰く人間観察が好きで「たけしくんって、正直な人が好きでしょ」と言われたときは「間違いじゃないけど、そんな簡単な言葉で片付けるなよ」ってイライラしました。
なのに、「ラウンド」とか「ウーフ」とかになると、いつの間にか型にあてはめる自分がいるようです。
今の生活も「ここはウーフ」と考えるのではなく「自分はこの家庭の一員」と意識を改めて今日は過ごしてみました。本当に意識を変えられたか自信はありませんし、効果があったかは分かりませんが。
今度シドニーに帰るときも「ここはシドニー」という意識はできるだけ消して「ここは旅の新しい舞台」と考えるようにしてみます。
きっと、さっき書いた「お金が必要→ジャパレスorローカル」っていうのも、そういう問題じゃないのでしょうね。例えまんまるやでまた働いたって、意識を変えれば語学学校時代とは違う景色が見えてくるかもしれません。というか、そもそもあの時とは違う自分なのだから、違う景色が見えない方がおかしいと思います。
ただ、全く新しい環境に行った方が「創造」しやすいのだとは思います。紛争中で銃声の飛び交うところに住めば、イヤでも新しい環境に慣れるために自分なりの工夫をし始めるでしょうから。
だから、目の前のものをそのままストレートに見て、なんか感じる。
> まずは目の前のものを、そのまんま、自分の既存の知識で「汚染」させないで、まずはそのまんま見るって練習をしたらいいかもしれません。
今日もいつも通り仕事をしたら夕飯にハンバーグが出てきました。水やりと雑草取りしただけなのに。慣れちゃったから今まで何も感じなかったけど、これってよく考えたらすげーことだなーって思って、「Thank you for dinner.」って言ったら(毎日言ってますが)、今日はいつもと違って「Thank you for your work.」って言われました。
たまたま今日は返事をしてくれただけだとは思いますが、こういうことかもしれないですね。
でも、今日感じた「こういうことかもしれない」も間違ってるかもしれないので、また明日の朝から気持ちをゼロにして始めます。
さて、これもラウンド通信に載せましょうか?
あまりにかっちょ悪いからやめますか(笑)
載せましょう!!
こうなってはいけないという悪い例として、皆の参考になれば。
恥ずかしい気持ちもありますが、悪魔に負けた自分への戒めとして、ラウンドスレで公開処刑してください(笑)
いずれにせよ、だんだん見えてきたって感じはしますよね。
しますか? あんまり見えてきた感じはしないんですけど…。
今まで見えてなかったことは分かりましたが、手応えはまだないです。
田村さんにご迷惑をかけましたが、自分の病んでる気持ちを率直に書いて正解でした。今は創造性と対面して別の意味で病んでますが、目を背けたまま日本に帰るよりは何倍もよかったです。ありがとうございました。明日も頑張ります。
-------------------
最近掲示板で、航平さんと田村さんが音楽のジャンル分け(=規定概念での処理)の話をされたり、吉田さんが
「知らないから理解できない。知らないことは解からない。むしろ知りたくない。解かりたくない。ぐらい自分を守っちゃう、もしくは守ってる錯角に陥ってる人達って居るんだな~。というかその人達にとって今じゃないんだな~とか、、、」
と書かれたりして「自分のこと言われてる」とドキッとしています。
でもおかげで、ここのウーフのホストと心の距離が縮まったような感覚はあります。
でも「創造性って何?」という問いに対して
・前提を変えること
・思い込みをなくすこと
など、似たような答えしかでてこず、「相変わらず頭固いな」と痛感しています。別の切り口からも考えています。
とにかく、頭の中がグチャグチャで自分でも収集つかなくなっていますが、今が勝負どころだと思うので頑張ります。
田村さん→柴山
柴山さん 田村です
ということでエッセイ書き終えて手が空いたので、掲示板にあげます。
メールの返信、ここに書きます。
いずれにせよ、だんだん見えてきたって感じはしますよね。
しますか? あんまり見えてきた感じはしないんですけど…。
見えてきたじゃん。最後のボスキャラまで辿り着いたじゃん。
シェア探しから始まって、学校なりバイトなり、ファームやバッパーやウーフや、ひと通りやることやっていく中で得られた経験値で倒せるような敵キャラはもう全部倒していると思うのですよ。
英語にせよ、金銭のやりくりにせよ、いきなり知らない土地にぶらっと行って、そこに馴染んで友達出来たり楽しくやったりって、そのあたりのレベルだったらもう倒せる。楽勝ではないけど、クリアは出来る。
これからの人生、これまで倒した敵キャラの戦闘能力を下回る物事が出てきても、それはもうクリアできるようになってますよ。来たばっかの頃に比べたら戦闘能力は10倍増になってるよ。
だってシェア探しなんか今だったらただの「事務処理」でしょうが。
しかしこれまでの経験を積み上げても、それでも倒せないのがボスキャラで、そこまでは来たという。
「結局はそこに行き着く」ってところに正しく行き着いているじゃんね。
で、創造性問題ですけど、あんまりサジェストしすぎるのも何なので、自分で考えてみてください。
一点だけ言っておくと、「創造性」って別の言葉でいえば「オリジナリティ」ですよね。
顔形や指紋が全て違うように、誰でも自分独自の凹凸をもっていって、それがオリジナルになる。
で、柴山氏にオリジナリティは無いのか?というと、滅茶苦茶ある。あるあるある!ってくらいある。
豊富にある筈のオリジナリティが、なぜか本人にだけは見えないというこの不思議さ、この面白さ。
ま、自分の顔を自分の目で直接見る(鏡を使わずに)ってことは絶対に不可能で、それに似てるのかもしれないけど。
これも一種の「自分探し」で、そういう表現にしちゃうと陳腐なんだけど、自分の機能特性をちゃんと把握している人、あるいは自分をちゃんと使いこなしている人って、1000人に一人もいないと思う。1万人でもどうかな。もしかしたらら一人もいないのかも。もちろん僕自身、まだまだ!って感じ。「地上最後の秘境」みたいな(笑)。