創造性問題 その1
2014年12月18日~21日(渡豪11か月目)のやりとり。
柴山→田村さん
田村さん
こんにちは。柴山です。
昨日すごーく大事なことが空から降ってきた気がするので、創造性問題の途中経過も兼ねて報告させてください。
まず創造性問題ですが、田村さんの「柴山氏にオリジナリティはある!」「直接自分の顔を見れないのと同じかも」が出発点でした。自分の顔を見るための"鏡"に当たる存在が何かを考えました。
そのときちょうど高津戸さんとメールやりとりしてたのですが、メールだけなのに彼女のオーラが伝わってきました。顔も知らないのにオーラが見えるって、すごく不思議だったんですけど。恐らく高津戸さんは「こういう文章を書けばこういう雰囲気が出る」なんて考えていたわけではなく、普通にいつも通り書いたんだと思います。
文章には必ずその人らしさが出ますが、彼女の場合は特にそれが強かったので分かりやすかったです。
自分でも返信書きながら無意識のうちに「高津戸さんはモチベーションが高いので…」とか書いていて、校正のために読み直しながら「俺って高津戸さんの鏡になってるんだ」と気付きました。
ここで出した1つの答えは「オリジナリティとは、自分で見つけるものではなく他人に見つけてもらうものである」でした。自分の顔は自分では見えませんが、他人に「目は二重で、鼻は低いよ」と教えてもらうことができるのと同じだと思います。
よって創造性問題は「如何にしてより多くの人に自分の顔を見てもらうか」という問題に帰着しました。
せっかく人口の多いシドニー。できればワーホリではなく地元民に自分の顔を見てほしいものです。
というわけで、僕の得意技「Gumtreeに投稿」を使って、思いつく限りユニークな広告をいくつか出しました。
例えば「僕の時間を1時間1ドルで買ってください」。自分は仕事が遅いので、今まで時給20ドルももらうなんて心苦しかったです。じゃあいくらが妥当かな、時給1ドルくらいかなって思っていたので、本当に1時間1ドルで売ってみました。「必要な方には領収書を発行致します」とかも書いて(笑)
中島さんのパーティーマニュアルで教えてもらった「3日に1回更新」という技も使ってます。今までの経験上、Gumtreeは投稿から2日を過ぎるとほとんど反応がないと分かっていたので、実行する前から効果は予測できました。実際、効果抜群です。
シドニーに帰る前から投稿したのですが、嬉しいことに反応がたくさんありました。本当に僕の時間を安く買おうとする人もいたのですが、「きみ面白いね。お金なんてどーでもいいから、今度うちにご飯食べにおいでよ」って返事が多かったのは嬉しかったです。
あとで気付いたのですが、これってA僑10個羅列と同じコンセプトですよね。
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もう一つの答えは「なぜか分からないけど、僕が顔を出してハローと言うだけで喜んでくれる人がいる」ということです。なんだか「僕はみんなの太陽」って言ってるみたいで気持ち悪いですね。でも本当にそういう人がいるのは僕の誇りだと思っています。
買い物帰りにボーッとしながらNewtown の King Stを歩いていたら「言葉にするとありきたりだけど、でも本当にこれが大事なんだよな。というか、こういう環境さえあれば満足して生きていけるんだ」って、心の底から湧き上がってくるような感覚がありました。
その材料になるようなエピソードがたくさんあるんですけど…
・この前の月曜日にシェア探ししました。バッパーにずっといようか迷っていたんですけど、クリスマスと年末年始は早めの予約が必要だったらしいので、急遽始めざるを得ませんでした。
Ashfield の $120の物件があり、オーナーがいい人で一目惚れ。一応他のアポがあったので「またあとで連絡します」と言いました。するとそのオーナーから「ぜひ君に住んでほしい。返事をもらうまでこの部屋はキープしておくよ」とSMSが来たので、嬉しくなってそこに即決。最初のミャンマー人とのシェアの時も「あなた以外は全員断っていた」と言われたので、デジャブで驚きました。
(余談ですが、今回のシェア探しでは事務処理は余裕でクリアできました。アポを取りながら見学先の近くでレジュメを配り、電車の中では Gumtreeの広告に連絡をくれた人に返事を書き、さらに余った時間で田村さんのエッセイを読み終わりました)
(さらに余談ですが、そのエッセイの中の「探すのではなく、来させる」のおかげで、自分が Gumtree でやってることは間違っていないと確信できました)
・語学学校時代に将棋を教えていた子がいるのですが(そういえばこの子とも Gumtreeで知り合いました)、昨日再会したときすごく喜んでくれました。ちょっとしたクリスマスプレゼントをもらいましたし、写真を見せながらラウンド中の話をするとうれしそうに聞いてくれました。
必ず彼女から「次いつにする?」と連絡をくれたり、ラウンド中も定期的に近況報告メールをくれたりと、なぜか慕われてるみたいです。
将棋指しながら「今何してるの?」と聞かれたので「仕事探してるんだけど、難しいね。お金あるし、ボーッとしてような」と言うと「I think doing something is good.」と励ましてもらいました。
・友達の悩み相談にのって、いつものように I agree していただけなのに元気を出してもらえたようです。
・SCEの友達が Facebook で僕がシドニーに帰ってきたことを知り、速攻で Welcome Party の日時を決めてくれました。
逆にがっかりエピソードもありまして
・Gumtree に「短期で仕事探してます」との広告も出したら2件連絡が来ました。Fund Raising と Worldwide Businessだったのですが、両方とも自分の収入を増やすためのシステムのことしか考えておらず、気持ちが全く伝わってこなかったので、話だけ聞いてすぐに帰ってきました。
・電話で仕事を探していたのですが、「I'm looking for job.」と言うと、途端に対応が冷たくなるのが虚しすぎます。20分くらい電話をかけまくったあと「これは俺がやりたいことじゃない!」と思い、仕事探しは放り投げてしまいました。
これが日曜から昨日の夕方までの話です。
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こうして仕事は見つかる気配がなく、探す気すらもなくなり、自分でも何がしたいかよく分からなり、そもそも自分は誰なんだ!?ってところまで行き着きました。雲をつかむとはこのことかと。
暗い気持ちになってしまったので、気分転換に30分かかる Woolworth まで歩きました。
Newtown の King St を歩いていたのはそのときだったのですが、頭の中でピカッ!と東北ボランティアのときの光景がフラッシュバックしました。
僕が参加したのは2日間だけのボランティアなので、はっきり言ってほとんど力になれませんでした。仕事が分からないからイチから教えてもらい、逆に迷惑がかかってるんじゃないかと思うくらいです。
でも、現地の人はすごくいい顔してくれるんです。「震災から2年経ったのに来てくれる人がいる」って喜んでくれます。あの顔が見れるんだったら、たとえ放射線で寿命が20年縮まっても、また石巻市に行きたいです。
これが「やりたいこと」に一番近いと思ったので、シドニーでもボランティアや NPO を探しました。将棋を教えてる子も「do a job」じゃなくて「do something」って言ってたし。
必ずしも 自分のやりたいこと=ボランティア ではないのですが、とっかかりにはなると思いました。
ちなみに、生活費は親に借金します。本当は収入を確保するのが最優先だと思いますが、最後くらい好き嫌いだけに任せて行動したかったからです。親に説明したら快諾してくれました。
しかしボランティアをネットで探してみたのですが、コンセプトに共感できなかったり、高度な英語が要求されたり、またもや「なんか違うなー」状態になりました。「実際に事務所に足を運んだほうがいいのかな」と思ったのですが、相変わらずGumtree の広告への連絡は来ており、一つ一つ丁寧に返信を書いているときにふと気が付きました。
今までボランティアといえば捨てられた動物や貧しい子供を救うというイメージがあったのですが、「目の前にいる人と等身大の自分で接し、結果的に喜んでもらう」という意味では、ボランティアもGumtree で知り合った人と会って話すのも同じじゃないかと。創造性問題とご対面してからずっと悶々としていたのですが、初めて腑に落ちた瞬間でした。
あと1ヶ月半は、Gumtree を通して人との出会いを広げていくことを一つの軸にしようと思います。
それ以外の時間は、中島さんのアドバイスにもあったように、何もしなくていいと思っています。
なーんにもせずに一日過ごすなんて、この先しばらくできないでしょうから。徹底的に自分と向き合ってみようと思います。
今日は宛もなく、一日中電車とバスに乗ってました。
これからどうなるかは分かりませんが、今のところはこんな感じです。ゴチャゴチャしててすいません。自分でも何がなんだかよく分かっていないので、田村さんもよくわからないと思います(笑)
ただ、手応えは感じているので、この調子で行けるところまで行ってみよう思います。使ったことない筋肉を使ってるような感じがして、毎日グッタリなんですけど…(汗)
長文にお目を通してくださりありがとうございました。自分では頑張っているつもりですが、また喝を入れ直すべきだったらお願いします。
柴山武士
田村さん→柴山
柴山さん 田村です
ここで出した1つの答えは「オリジナリティとは、自分で見つけるものではなく他人に見つけてもらうものである」でした。
なるほど、そういう考え方もあるのか~。
確かにオリジナリティって、個としても存在するんだけど、他者との比較をした方がはるかにわかりやすいですよね。「ここが違う」「ここが出っ張ってる」とか、比較でものをみるのは分かりやすい。
絶対値よりも相対値の方が認知しやすいのと一緒ですね
そして、その相対値を感受するのは、自分よりも、自分の個性を自然と認識している他人であろうと。
ま、考えてみればそうかもしれないな。
すごーく変わった人がいて、めちゃくちゃ個性的であったとしても、本人は普通だと思ってたりするんだよね。
「えー、俺、普通だよなー?」って周囲に確認を求めて「いや、全然普通じゃないと思うぞ」と言われてしまうという。
スイカに砂糖をかけるか塩をかけるかは普通でも、スイカに辛子を塗ってる奴がいたらそれは普通ではなく、個性的。でも、「え、ウチでは昔っからそうしてるよ、皆もそうだと思ってた」という。
だから他人に見てもらって「ここが違うよ」って言ってもらうことは、大いに参考にはなるでしょうね。
よって創造性問題は「如何にしてより多くの人に自分の顔を見てもらうか」という問題に帰着しました。
ああ、量を多くするという方法論をとったのね。質を深くするという方法論ではなく。
後者は自分のことをよく知ってる、付き合いの長い人(家族でも)に、じっくり聞いてみるという方法論ですね。
前者の初対面でもなんでも数を増やすのは、それはそれで有効かしらんけど、表面的なことしか見えないから深まらないかもです。「日本人だよね」「眼鏡かけてるよね」「男だよね」という、それくらいの(^^)。
まあ、でも、どういう反応がくるのか楽しみですね。
というわけで、僕の得意技「Gumtreeに投稿」を使って、思いつく限りユニークな広告をいくつか出しました。
すでにこの時点で滅茶苦茶ユニークだと思うんですけどね(^^)
シドニーに帰る前から投稿したのですが、嬉しいことに反応がたくさんありました。本当に僕の時間を安く買おうとする人もいたのですが、「きみ面白いね。お金なんてどーでもいいから、今度うちにご飯食べにおいでよ」って返事が多かったのは嬉しかったです。
見てもらうための行動(広告掲示)が既に濃厚な個性を出しているということで、皆もそこに着目するでしょうね。でも、それ、本来の目的なのか、、、という気も(^^)
もう一つの答えは「なぜか分からないけど、僕が顔を出してハローと言うだけで喜んでくれる人がいる」ということです。なんだか「僕はみんなの太陽」って言ってるみたいで気持ち悪いですね。
気持ち悪くないよ~
いいことだよね。
でもって、人(なにか)がそこにいるって存在感は、快にせよ不快にせよ結構なインパクトがあるんでしょうね。
花にせよ、猫にせよ、あるとうれしい、微笑んでしまうという存在は常にあるわけですよね。それは、その人にとって、好ましい世界を作ってる一要素です。
あなたの存在が、その人にとって世界の好ましい部分であるということで、それはとてもうれしいことですよね。
ただし、それ、オリジナルでも創造性でもないかもしれません。
同じような花が咲き乱れていてもうれしいしね。
良いか悪いかという二者択一ではプラス評価されているってことだけで、それ以上、ワン&オンリーな個性まで認知されているのかというと、そこは無回答だとは思います。
でも、オリジナルとはまた別のレベルで、大きな発見だと思います。
極論すれば、オリジナリティなんかなくても、みんなのいい気分や幸せに多少なりとも貢献できたら、それは生き甲斐でもあるし、存在しがいもあるというもので。
余談ですが、今回のシェア探しでは事務処理は余裕でクリアできました。
ほら~、性能向上してるじゃん。いっぱいいっぱいにならなくなってる。大したもんだぞ
(さらに余談ですが、そのエッセイの中の「探すのではなく、来させる」のおかげで、自分が Gumtree でやってることは間違っていないと確信できました)
はい、先ほどの点と重複しますが、オリジナリティを探すために手段としての他人、その他人を求めるための広告、、という手段の手段だった筈のGUMTREEですが、すでにその広告を出す時点で、自分のオリジナリティをはからずも表現してしまうという。
A僑10個と同じと書かれていたけど、まさにそうで、「自分はこういう人ですよ」と他人に説明する場合、結局、自分の個性やオリジナリティを説明することになるし、説明の前段階として、考える・発見するという作業になるという。
でも、現地の人はすごくいい顔してくれるんです。「震災から2年経ったのに来てくれる人がいる」って喜んでくれます。あの顔が見れるんだったら、たとえ放射線で寿命が20年縮まっても、また石巻市に行きたいです。
あ、これも存在がうれしいって一つのパターンですよね。あなたは、その地域の人にとっては「この世界は捨てたもんじゃない」「いい人もいるんだ」という世界観を構成する一要素になってるわけですし。
今までボランティアといえば捨てられた動物や貧しい子供を救うというイメージがあったのですが、「目の前にいる人と等身大の自分で接し、結果的に喜んでもらう」という意味では、ボランティアもGumtree で知り合った人と会って話すのも同じじゃないかと。創造性問題とご対面してからずっと悶々としていたのですが、初めて腑に落ちた瞬間でした。
そう、だから金銭の授受にこだわる必要もないのだよね。全然関係ないともいえる。
むしろ職場の方が意味あったりするんだよね。
職場はどこも大変で、お金のために不快な思いをしている「可哀想な人」の巣窟であり、自分もまたその可哀想な人の一人であり、そこで、その場を明るくするとか、いてもらっていい気分ってことをするのは、その限りでボランティアワークでもあるしね。
ただ、手応えは感じているので、この調子で行けるところまで行ってみよう思います。使ったことない筋肉を使ってるような感じがして、毎日グッタリなんですけど…(汗)
あはは、いいんじゃない?
そもそもなんでオリジナリティや創造性が問題になったのか?ですよね。
そのきっかけは何かといえば、ワーホリ定食みたいなものが終わったので、もうやることないな~って、他人の作った型枠から一歩も抜け出せない部分、自分本来の考えや、そもそも考える主体としての自分が無いんじゃないの?創造性やオリジナリティがないんじゃないの?もっといえば自分がないんじゃないの?って話だったでしょ?
で、今は自分であれこれ考えてこうしようとか思ってるし、そこに何らかのお手本を探しているわけでもないし、こうなったら世間的に及第点とかそういう発想もないでしょ?
そゆことだと思いますよ~。
では 田村
柴山→田村さん
田村さん
柴山です。返事遅くなってすいません。
うれしいことに、Gumtree 関連の予定が立て込んでました^^
早速脱線ですが、昨日の夜はSCE仲間と再会するも、酔いつぶれてしまいまともに話せず帰宅(笑)
今日の昼間は、1時間1ドルの広告を見たおじさんの家に招待され、手料理をごちそうになりながらお話。
「大事なのは超ミクロ視点と超マクロ視点」「革命を起こすための横つながり」「自分でsemi-closedのコミュニティを持っている」「ジョン・レノンのイマジンにもあるように…」など、田村さんと全く同じことを言っていてビックリしました。みんな同じこと考えてるんですね。その話に共感したので自分も思ってることを言ったところ(と言っても、半分以上はエッセイに書いてあったことですが笑)、僕のことを気に入って頂いたようで、また会う約束ができました。いい人見つけましたよ~。
そのあとは同じく広告を見たタイ人のカップルと集合し、おしゃべりしながらお出かけ。
男の人がシドニー大学でTESOL(英語教師になるための資格)を勉強中。ふたりともタイでは教師をしており、しかも結構エラい人だったようで、大臣みたいな人との写真を見せてもらいました。さらにシドニーでは自分の”ビジネス”を持っているとのこと。「この二人も結構すごい人なんだなー」と思って、その”職場”に連れて行ってもらうと、要するにシティのタコ部屋のオーナーでした(笑)
一生懸命レントを足し算してたのが可愛かったです(笑) でも、あれで週735ドルも入ってくるなんて、すごいですねー。
確かにオリジナリティって、個としても存在するんだけど、他者との比較をした方がはるかにわかりやすいですよね。
そうなんですよね。自分の特徴は自分には見えにくいんです。「俺のオリジナリティとは?」って考えても一向に答えが見えなかったので、オリジナリティがあるという前提でいかに可視化するかという方向にシフトしました。
もちろん、自分のことを相対的ではなく絶対的に把握することも必要だと思いますが、創造性初心者にはまず他者との比較が分かりやすかったです。
スイカに砂糖をかけるか塩をかけるかは普通でも、
話の腰を折って申し訳ないんですけど、スイカに砂糖をかけるのって普通なんですか?塩しか聞いたことなかったです…。
ああ、量を多くするという方法論をとったのね。質を深くするという方法論ではなく。
後者は自分のことをよく知ってる、付き合いの長い人(家族でも)に、じっくり聞いてみるという方法論ですね。
質vs量 という構図ですか。その発想はありませんでした。
Verbal vs Nonverbal しか考えてませんでした。
他人は自分のことを正しく観察してないことの方が多いし、Verbalの場合はちゃんとした相手を選ばないと、言葉の問題になりやすくてブレるんです。
でも Nonverbalの場合は、反応がダイレクトに返ってきます。例えば仲のいい友達が話し相手にいつも僕を選んでくれるのは、「自分は聞き上手な面もある」という表れだと思います。
本当は多くの地元民と深く長く付き合いたいのですが、残りわずかなので「深く長く」は諦めましたという次第です。それに今僕がやってるのは「やることに意味がある」系のことなので、最悪結果は伴わなくてもいいと思っています。
でも、やっぱり質も大事ですよね。質を上げるために何をすればいいかも考えてみます。
すでにこの時点で滅茶苦茶ユニークだと思うんですけどね(^^)
Gumtree に投稿って、そんなにユニークですか?体験談の中でも、ゆかりさんは Gumtree で建築のインターンを見つけてますし、成田さんもGumtree で車を売りましたよね。
それにそもそものきっかけは、田村さんにシェア先まで車で送ってもらったときに「将棋を教えてお金を取ろうと思うんですけど…」「お金を取るよりも、まずはGumtree でパートナー募集から始めた方がいいんじゃない?」と言われたことです。ただ、僕ほど Gumtree をフル活用した人は他にいないんじゃないかと思います。
見てもらうための行動(広告掲示)が既に濃厚な個性を出しているということで、皆もそこに着目するでしょうね。
でも、それ、本来の目的なのか、、、という気も(^^)
あれ?これって本来の目的じゃないんですか?
前回のメールで書かなかったんですけど、創造性問題に対する他の答え(可視化の第二弾)は「全く同じことをしようとしても、結果的に人それぞれ違いやオリジナリティが生まれる」です。
全く同じ歌でも、AさんとBさんは声が違うから、歌の印象も変わるのと同じだと思います。
田村さんに「できること10個羅列しろ」って言われてるだけなのに、みんな全然違いますよね。
さっき「やることに意味がある」と書いたのはそのためです。何でもいいから行動すれば、オリジナリティは結果的にあとからついてくるんだと思います。
だから、Gumtreeで作ったつながりは無理のない範囲で大事にしていきたいですし、そこから関係が発展すれば、自然とオリジナリティが生まれるんじゃないかと思います。今回は残り1ヶ月半なのでそこまではいかないと思いますが、まあ別にいいです。
って考えたんですけど、どうでしょう? (^.^;
田村さんが書かれていた
A僑10個と同じと書かれていたけど、まさにそうで、「自分はこういう人ですよ」と他人に説明する場合、結局、自分の個性やオリジナリティを説明することになるし、説明の前段階として、考える・発見するという作業になるという。
を言い換えただけなんですけど ^^;
この理屈だと、ワーホリ定食を鵜呑みにしている人(昔の自分)も創造性があるということになってしまうので、前回はまだ寝かせていました。
良いか悪いかという二者択一ではプラス評価されているってことだけで、それ以上、ワン&オンリーな個性まで認知されているのかというと、そこは無回答だとは思います。
でも、オリジナルとはまた別のレベルで、大きな発見だと思います。 極論すれば、オリジナリティなんかなくても、みんなのいい気分や幸せに多少なりとも貢献できたら、それは生き甲斐でもあるし、存在しがいもあるというもので。
言われて気付きましたが、確かにオリジナリティとは別の問題ですね。
でも、自分はこういうことにすごーく生き甲斐を感じるので、これでいいのかもしれません。
母の影響もあって、隙を見つけては「ありがとう」って言ってます。 自分が「ありがとう」って言われると嬉しいから、他人にもつい言ってしまいます。
この前もレストランに食べに行ったとき、自分のオーダーでゴタゴタがあったらしく料理が出てくるのが遅かったです。そのあと明らかにウェイターが気を遣ってくれたり、会計の時も申し訳なさそうにしてたのですが、僕は全然そんなの気にしてないし、ウェイターさんのそんな顔見たくないので「おいしかったです!」って言ってチップ入れました。
自己満足でも、いいことした自分に酔ってるわけでもなく、純粋に「自分のちょっとした行動でみんなが幸せになるんだったら」って気持ちです。
そもそもなんでオリジナリティや創造性が問題になったのか? ですよね。
(中略)
で、今は自分であれこれ考えてこうしようとか思ってるし、そこに何らかのお手本を探しているわけでもないし、こうなったら世間的に及第点とかそういう発想もないでしょ?
そうですね。自分の限界突破中(大袈裟ですが)なので、確かな手応えは感じています。
ただ、まだ呼吸を止めて頑張る状態です。1ヶ月半だけだから気合で乗り切れるけど、セカンド使ってもう1年とか、日本に帰って無期限だったりしたら、持たないと思います。
だからやっぱり、エラ呼吸してる絢也さんやMOP軍は本当にすごいと思いますよ。