やりたいことがよく分からないとき、どうするか問題
2014年3月19日~22日(渡豪約1ヶ月後)のやりとり。
柴山→田村さん
田村さん
柴山です。
最近ちょっと思い詰めてるので、話を聞いていただきたくメールしました。
正直、何に思い詰めてるかうまく説明できる自信がないのですが、ざっくり言うと「俺こんなことしてていいの? 他にやりたいことがあるんじゃないの?」という感じでしょうか
。
毎日刺激的ではあって面白いんだけど、なんとなく自分に合ってない気がします。
もともと特に目的があってオーストラリアに来たわけではないので、自分が今していること(バイトやレジュメ配りなど)が何に結びつくのか分からない。だから、レジュメ配ってても不安になるときがあるし、このままでいいのかな、他にすることがあるんじゃないのかな、と思うことがあります。
でも、やりたいことがはっきりしてないから、代わりに何をしたいかは見えてこないです。
ジャパレスのバイトもレジュメ配りも、お金がないから必要に迫られてやってるだけ。特にレジュメ配りなんて、もはやルーティン的にやってる状態です。
なんかイマイチ弾けられないな~とストレスに近い何かが溜まっています。
この悩みは、1年前に初めて田村さんにメールで送ったときの悩みに近い気がします。その時は「とにかく行動だ!」ということで、1年かけて留学生の友達を作ったり東北ボランティアに参加したりと新しいことに挑戦してるうちに、いつの間にか悩みが解決されていました。
今回もそうなるといいのですが、シドニーにいるのは4ヶ月だけですし、学校やバイトで時間は取られるし、本当になんとかなるのか?と不安で仕方ありません。
自分は結果を急ぎすぎなのでしょうか?
また、シドニーにはそこまで期待しなくていいのでしょうか?
ちなみに、毎日何らかの壁にぶつかっていています(ある日は英語、ある日はレジュメの配り方など)。とはいえ、毎日忙しくて、2日前は何に悩んでいたのか覚えていないのですが笑
その日に悩んだり考えたりしたことを毎日日記に書いているので、来年の自分、あるいは3年後や10年後の自分がその日記を読んでどう思うか楽しみです。
ところで、全く話は変わるのですが、APLaCの食生活のページを参考に甜麺醤を買って回鍋肉を作ってみたら、結構美味しく出来ました!
日本で回鍋肉の素を買うと1食分で100円くらいですが(本当は2食で100円ですが、自分は1回で食べてしまう)、甜麺醤なら4ドルで10食以上は作れそうなので、コスパ高いです!
中国の調味料がズラーっと並んでるのを見ると色々試したくなるのですが、1年では全然足りなさそうですね。
田村さん→柴山
柴山さん こんにちわ
田村です。
> 最近ちょっと思い詰めてるので、話を聞いていただきたくメールしました。
へいへい、なんでもどーぞ。
> 正直、何に思い詰めてるかうまく説明できる自信がないのですが、ざっくり言うと「俺こんなことしてていいの?
> 他にやりたいことがあるんじゃないの?」という感じでしょうか
> 毎日刺激的ではあって面白いんだけど、なんとなく自分に合ってない気がします。
ああ、それは分かるような気がしますな。
でも、それが何なのか分からないのですよね。
> ジャパレスのバイトもレジュメ配りも、お金がないから必要に迫られてやってるだけ。特にレジュメ配りなんて、もはやルーティン的にやってる状態です。
それはそれでいいんですよね。
別にそこに人生賭けたり、充実するポイントはないんだから、金さえ入ればそれでいいです。
また、レジュメ配りも、徒労感を徹底的に味わうためにやってるようなもので、そこで腐らない練習をしているわけですから、腐りそうにになるくらいでちょうどいいです。
これを何年間もやるというのが、物事成就するためのコツなんで。いきなり人生背負ってそれをやると潰れますから、背負ってない段階で適当に慣れておくと。
それはそれだけのことです。
それよりも、なんかやりことがあるような、でもそれがなんだか分からないようなってときはどうするか?論です。
「ほっとけ」です。
やりたいことが本当にあるときは、「やりたいことがある」という形では認識されません。
「喉が渇いた」「飯食いたい」「眠りたい」という、生理的欲求みたいにクッキリ意識されると思います。
もしそれがないなら、感度センサーはゼロのままでいいです。
柴山さんの場合、空白恐怖症候群みたいなキライがあるので、しゃべっていてもそうだけど、空白があるのを嫌うように言葉を詰め込む傾向があるでしょう?
でも、物事にはオンがありオフがある。音楽でも、音を出してない部分が結構大事なんですよね。タイム感、リズム感は音を出していない時間をどう織り込むかによって生じるし。
絵画でもアートでも、何もない空白をどうつかうかがポイントです。
日本の伝統的な家でも、なんもなーい居間に、ぽつんと一輪挿しがあるというのがいい。これにあれこれ隙間家具を入れると全体のクオリティが下がる。
つまりやりたいことがないなら、それは空白として大事な部分であり、空白を慈しむように認めることが大事。
難しいでしょ?
なんか思ったのは、空白にしておくと死んでしまうかのような感覚があるとしたら、それは恐怖症や神経症で、「やりたいこと」をやっているというのも、本当にやりたいことなのかどうか?ってより深い疑問にもつながるのですよ。
なにか本質的な恐怖を覆い隠すためにあれこれ楽しげなものを上にかぶせて、それで楽しんで、究極的にはごまかして、隠しているんじゃないかって。
だとしたら、その根源にある嫌なものってなんだろう?
これはカウンセリングでもやらないと見つからないと思います。
考えてみるのもいいとは思いますよ。
でも、それを抜きにして言えば、「なんもしてないけど、居るだけで、生きているだけで、ハッピー」という感覚を目指すべきだとは思います。もともと自然の生き物というのはそういう具合に作られているのですから。
動物でも、トラやライオンなんて、狩りをしてない時は、阿呆みたいに寝続けているでしょう?ひたすらボケーッとしている。あれが自然の正しい状態だと思います。「充実のライフプラン」なんて全然考えてないよね。
だから、なんかしなきゃ!みたいな焦りというのは、どっからくるのか?です。
本当になんかしなきゃいけないの?と
なんで、なんかしなきゃいけないの?
しなかったらどうなるの?死ぬの?
なんで死ぬの?
結局、何が嫌なの?
そのあたりだと思います。
ここを克服出来たら、あなたは居間の数倍爆発的に魅力的になるでしょう。
三国志の英雄群像みたいになるでしょう。
将たる才や器は、平然と無駄なことをやれるところにあるので。
そのあたりを考えてみるといいですよ。
でも、そんなのは普通ラウンドでヒマにまかせてあれこれ考えればいいのであって、シドニー時代は、まだまだあれこれ金欠で困ったり、英語の勉強で煮詰まったりしてればいいです。それはそれで必須の過程ですから。
ではでは
田村
柴山→田村さん
田村さん
柴山です。お返事ありがとうございます!
夜遅くに返信して頂いて、朝は早くからシェアのリスト作って。
一体いつ寝てるんですか!?
別にそこに人生賭けたり、充実するポイントはないんだから、金さえ入ればそれでいいです。
また、レジュメ配りも、徒労感を徹底的に味わうためにやってるようなもので、そこで腐らない練習をしているわけですから、腐りそうにになるくらいでちょうどいいです。
それを聞いて安心しました!
Huistvilleのまんまるやは週300ドル稼げておいしいのですが、
ずっと同じところじゃつまらないかな」
と思い、1ヶ月くらいしたら変えてみようかなと考えていました。
でも、お金が入ればそれでいいんですよね。
よく考えたら、全然変える必要ないですね。
やりたいことが本当にあるときは、「やりたいことがある」という形では認識されません。
「喉が渇いた」「飯食いたい」「眠りたい」という、生理的欲求みたいにクッキリ意識されると思います。
言われてみればその通りですね。なんでこんな事に気付かなかったんでしょう。
そう考えると、今の自分にその種の生理的欲求はなさそうです。
柴山さんの場合、空白恐怖症候群みたいなキライがあるので、しゃべっていてもそうだけど、空白があるのを嫌うように言葉を詰め込む傾向があるでしょう?
今まで気付きませんでしたが、そうかもしれません。他にも思い当たる節があります。
早口なのは良くないと思いつつも直してきませんでしたが、これからは話し方を意識してみようと思いました。
絵画でもアートでも、何もない空白をどうつかうかがポイントです。
つまりやりたいことがないなら、それは空白として大事な部分であり、空白を慈しむように認めることが大事。
難しいでしょ?
ハイッ!めっちゃ難しいです!(笑)
空白が大事ということは、なんとなく知ってはいました。
高校の国語の授業で「ミロのビーナスは両腕がないから美しい」みたいな趣旨の評論がとても面白かったのを覚えています。
今度はそれを自分で実践する番ですか…
それに、下手をすると「空白」と「ダラダラする」を取り違えてしまいそうです。
いや~難しい!!
でももしかしたら、この間、ちょっと空白を慈しむ体験をしたかもしれません。
レジュメ配りのために Princes HWY を歩いていた時のことです。
大きい通りだから店がたくさんあるんじゃないか?ということで1時間半歩いたのですが、全くと言っていいほど店がなく、結局2枚しか配れませんでした。
その代わり何も考えずにしばらく歩き続け、橋を渡っているときに、ふと「俺、今オーストラリアしてるんだ」と頭に浮かんだのが強烈に印象に残っています。
特に意味はないですが、その時の風景の写真を添付しました。
なにか本質的な恐怖を覆い隠すためにあれこれ楽しげなものを上にかぶせて、それで楽しんで、究極的にはごまかして、隠しているんじゃないかって。
グサッ
だとしたら、その根源にある嫌なものってなんだろう?
これはカウンセリングでもやらないと見つからないと思います。
考えてみるのもいいとは思いますよ。
これ、多分分かります。
「世間体を気にしてる」のが原因の1つだと思います。
日本で今頃卒業研究してる友だちと比べて、すごいことしてるだろ俺!えらいだろ!
のようなおごりが心のどっかにある気がします。
周りから偉い人って思われたい節があるんですよ。
今こうやって書いてる文章も、正直ちょっとカッコつけてますし。
「千葉大通ってるの?すごいね!」と言われたらホントは嬉しいのに、涼しい顔して「別にあんな大学、入ってみたら大したことなかったけどね~」といつも言ってますし。
自分を大きく見せようとしてしまいます。
だから、なんかしなきゃ!みたいな焦りというのは、どっからくるのか?です。
本当になんかしなきゃいけないの?と
なんで、なんかしなきゃいけないの?
しなかったらどうなるの?死ぬの?
なんで死ぬの?
結局、何が嫌なの?
そのあたりだと思います。
すいません。田村さんの言ってることを正しく理解できている自信がありません…
理解できているとしても、答えがすぐに出そうにありません 。
この辺りはこの1年間の宿題にさせてください。
でも、そんなのは普通ラウンドでヒマにまかせてあれこれ考えればいいのであって、シドニー時代は、まだまだあれこれ金欠で困ったり、英語の勉強で煮詰まったりしてればいいです。それはそれで必須の過程ですから。
ありがとうございます。肩の荷が下りた気がします。
とりあえず今は深く考えず、目先の問題を最優先に片付けるようにしてみます。
また煮詰まったらメールさせてください!
ありがとうございます!
田村さん→柴山
柴山さん こんにちわ
田村です。
夜遅くに返信して頂いて、朝は早くからシェアのリスト作って。
一体いつ寝てるんですか!?
一日に何回も寝てます(^^) ちょっとづつ。
こういう暮らしがしたかったんですよね、高校の時に(^^)。
早口なのは良くないと思いつつも直してきませんでしたが、これからは話し方を意識してみようと思いました。
うん、Share Accommodationという前に2拍タメを入れろと言いましたが、緩急
自在にするといいです。
でももしかしたら、この間、ちょっと空白を慈しむ体験をしたかもしれません。
:
ふと「俺、今オーストラリアしてるんだ」と頭に浮かんだのが強烈に印象に残っ
ています。> 特に意味はないですが、その時の風景の写真を添付しました。
ああ、それそれ!
多分それです
特に何の意味もないし、自己実現もなんもないんだけど、
ただそこに「存在している」ということで、なんとも言えない満たされる感じ、
何か心に「来る」感じというか。
空白って、別に何もないわけじゃないんですよね。真空ではない。
昔サントリー山崎のCMに「何も足さない、何も引かない」というのがありました
が、まさにそんな感じ。
今ある目の前の時空間が良い感じなので、あえて自分の手であれこれ改変しちゃ
わないほうがいい。そんなに手に入れすぎると却ってダメになりそうな。
そんなときは、主体者とか行動者ではなく、単なる傍観者や鑑賞者であればいい。
あるいは、絵画に描かれて通行人や背景の人物になってしまえばいい。
この世界を賞味すればいい、賞味するように参加すればいいって感じなんだと思
います。
居るだけで満たされるってのがわかると、ずいぶん変わってきますよ~。
日本で今頃卒業研究してる友だちと比べて、すごいことしてるだろ俺!えらいだろ!
のようなおごりが心のどっかにある気がします。
周りから偉い人って思われたい節があるんですよ。
今こうやって書いてる文章も、正直ちょっとカッコつけてますし。
「千葉大通ってるの?すごいね!」と言われたらホントは嬉しいのに、涼しい顔して「別にあんな大学、入ってみたら大したことなかったけどね~」といつも言ってますし。
自分を大きく見せようとしてしまいます。
あはは、これだけ自分でグリグリ言えたら大したもんです(^^)。
でもって、それは正しい願望だから、それはそれとして認めてやればいいですよ。
「どうだ、すごいだろう!」は男の子の本質ですからね。
「すごい」って言われるためには何でもやる。
自殺的なスピードでコーナーにツッコミもすれば、エベレストに登ったりもする。
それはもう健康な自己顕示欲なんで、健康にやってればいいと思いますよ。
「どうだあ!」って。
でも、それをやろうとすると、「う、ちょっとしょぼいかも」とか自己反省もし
てくるし、「もっと、こうしたら受けるかも」とか色々考えますよね。
ロックミュージシャンがメイクに凝ったり、火を吹いたりするのと同じです。
あれはもう「見せびらかし」ですから、それはそれでアッケラカンでいいと思い
ますよ。
ただ、しかし、本質的には子供みたいな願望なので、子供のように無邪気であれっ
てことですね。
ひねこびた子供とか、いやらしい大人みたいになってくると、腐臭が漂ってくる
ので、ガキっぽくあればいいんだと思います。
そうやってそこを子供っぽく無邪気に分離してしまえばいいっすよ。
この辺りはこの1年間の宿題にさせてください。
はい、全然OKです。
一生の宿題にもなるとは思いますが、ほんでも、今直ちにどうこうじゃないです。
「これが解けたらプロ4段」ってな難易度の詰将棋くらいに思ってたらいいです。
では~
柴山→田村さん
田村さん
柴山です。お返事ありがとうございます。
一日に何回も寝てます(^^) ちょっとづつ。
自分もそんな暮らしがしたいです
ああ、それそれ!
多分それです。
やっぱりこれですか!
居るだけで満たされるってのがわかると、ずいぶん変わってきますよ~。
人にもよると思いますけど、自分はオーストラリアにいるからこそ、これを感じられた気がします。
のどかで、どこを歩いていても景色がきれいで、easy going な空気。
国内旅行やインドに行ったときはこの感覚ありませんでした。
まあ、インドに関して言えば、暑かったのとジメジメしてたのでそれどころではなかっただけかもしれませんが笑
ただ、しかし、本質的には子供みたいな願望なので、子供のように無邪気であれっ
てことですね。
ひねこびた子供とか、いやらしい大人みたいになってくると、腐臭が漂ってくる
ので、ガキっぽくあればいいんだと思います。
そうやってそこを子供っぽく無邪気に分離してしまえばいいっすよ。
ここがいつも難しく感じるところです。
「子供っぽく無邪気に」って、どうやってやるの?
と考えてしまうのですが、その時点ですでに無邪気ではなくなってしまうのです。
考えてもなんとかならなさそうなので、この前言われたように、とりあえずほっときます。
アンテナ高く張って、来るもの拒まずの精神でいれば、なんとかなりますよね。
とりあえず、SCEでテレビ出演の募集(多分エキストラ以下)をしていたので応募しました。
エクスチェンジはまだ見つかりませんが、同じジャパレスで働いている人が日本語勉強中で、「テストが近いから教えて下さい!」と懇願されたので、今度行ってきます。