2017年2月19日

歴史って何のために勉強するんですか?

 もし、過去に戻って、中学生または高校生の自分に説教できるとしたら。

 僕は「理系だからとか言い訳してないで、ちゃんと歴史を勉強しろ!」と蹴りを入れると思います。

 当時は大が付くほどの歴史嫌いで「覚えることが多すぎる」「徳川家はみんな似たような名前で区別がつかない」「そもそも俺は今の時代に生きているんだから、昔のことを勉強することの意味が分からない」などと屁理屈こねくり回していました。高校最後のテストが終わった瞬間に「よし!俺の人生に歴史がかかわってくるのはこれっきりだ!」と大きくガッツポーズをしたのを覚えています。

 さて、どうして今さらになってこのように後悔しているかというと、前回書いたように岐阜を巡る日帰りツアーを始めることにしたのですが、それに伴っていろいろと岐阜に関する本を読んでいると、あまりにも分からないことが多すぎてなんだか悲しくなってくるんですね。

 例えば、今手元にある本を引用すると(岐阜「地理・地名・地図」の謎 松尾一 P57-58)

 戦国時代半ば、岩村城は源氏に仕えた一族の子孫である遠山景任が城主だった。織田信長が美濃国を支配したあとも、景任は岩村城を任された。景任への信頼の証から、信長は叔母の、おつやの方を正室をして嫁がせている。加えて、8歳の五男、御坊丸も養子に送った。
しかし、甲斐国(現・山梨県)や信濃国(現・長野県)を支配する武田信玄が織田家と敵対するようになる。そして1571(元亀2)年に景任が病死したことで、おつや方の運命は大きく変わることとなる。
 武田信玄が国境を越えて東美濃に攻めかかると、当時四方を敵に囲まれていた信長は、岩村城に援軍を送ることができなかった。そこで、おつやの方は降伏し、岩村城と養子を明けわたしてしまう。そればかりか、武田方の武将で新しく岩村城の城主になった秋山虎繁(信友)に嫁いでしまう。信長が怒ったのは、いうまでもない。

 これを読むと、僕みたいな人は「織田信長」「武田信玄」という超有名ワードだけに反応して「織田信長と武田信玄が戦ったんだ~。じゃあ岩村城って歴史的な価値があるところなんだな~」くらいの間抜けな感想しか出てこないわけです。知っている人名だけに反応して終わってしまう自分がなんだかバカみたいで、居た堪れない気持ちになってくるのです。

 読む人が読めば、織田信長や武田信玄を始め、おつや、御坊丸、秋山虎繁が生まれてから死ぬまでどこで何をしたのかという背景知識を持っていて、そういった全体像の中でこの戦いがどういう意味を持っているのか、重要性を理解できるのでしょう。そして実際に岩村城跡に足を運べば、当時の戦いの様子を頭の中で思い描き、自らもその場に居合わせているかのような気持ちになれるのかもしれません。

 それくらいできたら楽しいのだと思うのですが、歴史を勉強しなかったせいでそういった感動を味わえないのが悲しいわけです。「全体像の中でこの戦いがどういう意味を持っているか」ということを知るには学校の歴史の授業が一番ですからね。昔の僕はそのチャンスをみすみす逃していたわけで、本当に、過去に戻れるなら説教してやりたいですよ。「そんな屁理屈こねていると、お前これから、観光の楽しみの半分を失うんだぞ! 史跡を見に行っても"徳川"とか"豊臣"とか知ってるワードが出てきたらちょっとテンションが上がって、それで終わりになっちゃうんだぞ!」と言って。