2016年8月9日

車に5ヶ月乗ってみて

 車に3ヶ月乗ってみて という記事を以前書きました。

 それまで全く車を運転したことがなかったので「思ってたのと違うな」ということを忘れないうちにまとめておいた記事です。あれからさらに月日は流れて、感覚が麻痺してきたのかだんだん何も思わなくなってきたので、完全に麻痺しきるまえにもう1回書いておこうと思います。

 離れたところから話はスタートしますが、みなさん温泉に入ったらぷわーって手足を広げますよね。家のお風呂ではあの小さいサイズの中に体を収めないといけないからぎゅっと丸まりますけど、せっかく温泉は広いんだから、ゆったりと贅沢に空間を使いたくなります。
 例外的に僕は温泉の中でも家のお風呂みたいに丸まっていまして、大学時代住んでいたアパートのユニットバスに毎日体育座りして入っていたせいでそのサイズ感に慣れてしまい、体育座り=落ち着く という体になってしまいました。だから温泉でも体育座りをして、四方を浴槽に囲まれているようなイメージでお湯に浸かっています。
 まあ僕の性癖はおいておいてここで言いたいことは、湯船の大きさによって体をのびのびさせたり、逆にぎゅっとさせたり、全体の広さに合わせてちょうどいい具合に体の大きさを調整したくなるよね、ということです。

 田舎で運転をしているとき、僕の頭の中には広い温泉でのびのび手足を広げている映像が浮かんでいます。田舎というのは、30分走ってもほとんど信号に引っかからず、ウインカーも使わないような場所です。このようなに人口密度が低く、周りに空間が余りあまっている場所では車の図体のデカさなんて気になりません。5人乗りの車に自分しか乗っていなくたって、「これくらい豪快に空間を使ったところで、別に罪はないだろ」って気になって、すっきりします。

 でも、街中や住宅地を走るときはいつも、僕の頭の中には狭い温泉の中でぎゅうぎゅうになっている映像が浮かびます。小さい温泉なのにみんなが他人のことを考えずにのびのびするせいで、浴槽の中で手足がごつごつ干渉するような不快さがあります。でも車って人間の体と違って大きさを変えられないから、どうしようもないんですよね。満員電車の中なら、持ってるカバンをぐっと近づけて省スペース化することができますが、車にはそれができない。つくづく「車って不便な道具だな」って思います。

 実は最近ちょっとだけ引っ越しをして少し街中に近くなったので、運転に対してすっかり滅入ってしまっています。やっぱり自分にはママチャリがちょうどいいのかも。もういっそのこと、奮発していい自転車買ってみようかなってちょっと考えています。でもこういうのって、買った直後に車の必要性に目覚めたりするんですよね。なかなかマーフィーな問題です。