夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです(村上春樹インタビュー集1997-2011)を読んで

 科学の世界には「コンピュータ・シミュレーション」というものがあります。
 パソコンの中に仮想の空間をつくり、そこに様々な物理法則を適用し、最後に時間を流せば、私たちが生きているのと同じ世界が再現できるというものです。僕の研究室でも似たようなことをやっている人がいまして、「鼻腔内の空気の流れ」という限られたエリアですが、原理は同じです。パソコンで鼻の中の形を描き、「その中を空気がどう流れるか」という法則(ナビエ・ストークス方程式という)を適用する。あとはスタートボタンを押すだけで、鼻の中の空気の流れをパソコンが再現してくれるのです。
 言い換えれば、コンピュータの中に作られた世界(バーチャルワールド)では、私たちが住んでいるこの世界と同じ現象を起こすことができるのです。

 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を読んで分かったのは、村上春樹は頭の中にバーチャルワールドを持っているということでした。ただし、彼が再現するのは物理現象ではありません。登場人物の人間関係と心情変化です。
 最初に物語の初期設定を与え、登場人物を配置してスタートボタンを押す。すると、登場人物たちは自然と行動を始め、人間関係は自然と展開する。あとは村上春樹自身がそれを観察し、文章にする。

 この本を読んで一番興味深かったのは、村上春樹自身が執筆について「次に何が起こるか分からないから楽しみ」と言っている点でした。つまりバーチャルワールドがどのようなプログラミングで書かれているのか、彼自身も完全に把握できているわけではないということです。
 ちょっと驚きですが、でも、まぁ言われてみれば当たり前の話かもしれません。人間の思考回路を完璧に理解している人なんていないですよね。自分の頭の中ですら、意外とブラックボックスだらけです。僕だって「お腹が空いたから麻婆豆腐を作ろう」と思ったときに「なんで麻婆豆腐なの?回鍋肉じゃダメなの?」と聞かれたら、厳密に答えられないです。当たり前のことすぎて、そこに理由が存在するのか疑問に思うくらい。
 ただし、お腹が空いたから→麻婆豆腐が食べたくなる という原因と結果は分かる。「分かる」というまでもなく、自然と身体がそう思う。
 村上春樹はそれと同じことを、ストーリー中の登場人物全員分を一人でやっているのです。しかも「お腹が空いたから」なんて単純な状況ではなく、もっともっと複雑な状況で。

 ブラックボックスの中のメカニズムが分からなくても、なぜ原因が分かるだけで結果も分かるのか。言い換えると、バーチャルワールド中の人物全員が「こういう状況に置かれたら→こういう行動をとる」ということを、なぜ自分のことの感じ取ることができるのか。

 僕がこの本を読んだ印象としては、それは村上春樹の「人生経験」と「想像力」に由来するものだと思いました。
 「人生経験」に関して面白かったのは、村上春樹は自分のことを特別な人だとは思っていないと言っていたことでした。確かに彼の小説を読んでいると、あんまり他人事のような感じがしないんですよね。「案外僕と似てる部分があるかも」なんて思ってしまいます。村上春樹って、小説家”以外”の部分は普通のおじさんと変わらないんだって気がしてきて、親近感が湧きました。それと同時に、人に対してそのように思わせてしまう所が彼のすごい所なのだとも思いました。
 「想像力」は、言い換えれば「人の気持ちが分かる」ということです。そういえば小学生のとき、よく大人に怒られましたよ。「人の気持ちになって考えなさい」とか「自分がされて嫌なことを人にしてはいけません」とか。22歳になった今となってはそれくらい楽勝だと思っていましたが、この本を読んで俺なんてまだまだって思いました。上には上がいるという言い方をしたら失礼ですが、少なくとも自分が「とりあえずこれくらいできればOK」なんてレベルにも達していないのがよく分かりました。

 人の気持ちが分かるようになったら、きっと自分も大人になれるんだろうな。

 長々書いてきましたが、僕の感じたことを一言で表している文がありました。377ページから始まるインタビューのタイトルです。「小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことのできる、個人的作話システムなのです」。あはは。僕がこんなに下手くそな説明で長々書いてきたのが恥ずかしい。


 この本を読んで、村上春樹が好きになりました。彼の書く小説が好きになったというよりは、彼自身の人間性に興味を持ち、畏敬の念が湧いてきたという方が正確だと思います。だから自然と村上春樹の小説に手が伸びてしまう。

 さて、次は『海辺のカフカ』を読みたいと思います。