国立科学博物館に行ってきました

この前の土曜日はなーんにもすることがなかったので、一人ぼっちで上野にある国立科学博物館に行ってきました。
国立科学博物館@上野
博物館とか美術館に集団で行く機会はときどきありますが、旅行の日程の中に組み込まれていてかなり時間制限があることが多く、意外とじっくり見ることがありません(メルボルンの NGV Museum とか、シドニーの語学学校では授業の一環で Powerhouse Museum にも行ったなー)。曲がりなりにも自分は大学で工学部のお勉強をしていますので、今回は知識をガッツリ仕入れるつもりでいきました。


今回行って思ったのは、展示物の解説の文章、すごくよくできてるなーということです。

例えばこれ↓は、象のはく製のところにあった解説。「象はなぜ体が大きいのか」について書いてあります(写真クリックで拡大)
象はなぜ体が大きいのか
いやぁ、いい文章ですね。
何がいいかって
①専門知識のない人でも理解できるような分かりやすい文章
②進化生物学の面白い部分だけをいいトコ取り
③「へぇ、いいこと知った」と思わせる、トリビアの泉みたいな感じ


特に①の「専門知識のない人でも理解できるような分かりやすい文章」っていうのは本当に感心しました。
自分も大学の教科書とか論文とか読む機会が多いのですが、「人に読んでもらおうって思ってるのかな、これ書いた人」って文句言いたくなるくらい難しいのが本当に多くて、正直楽しくないことが多いです。文章がヘタというわけではなく(それもあるけど(人のこと言えないけど))、人に読ませる気がないんじゃないかと思うくらいの難解さ。恐らく、ものすごくレベルの高い人を読者に想定してるからそうなるのだと思います。まぁ要するに僕が勉強不足なだけなので悪いのはこっちですし、「これの意味が分かるように勉強しなきゃ」ってモチベーションになるのですが、「もうちょっとなんとかならないのかな」というのが正直なところです。その難解さのせいで外部を寄せ付けない閉鎖的な空気が生まれるのは気持ち悪いし、難しいことを難しく言うのなんて誰でもできるし。

そういう鬱憤が普段からたまってるから、こういうのを見たときは感動しました。心の中でスタンディングオベーションしてました。教科書とか論文もこんな風だったらよかったのに。

あと、これ↓も面白いです。赤ちゃんの頭が大きい理由について分かりやすく書かれています。
赤ちゃんの頭はなぜ大きいのか
とは言え、周りを見るとほとんどの客はカップルか子供連れの親子。こんなのをじっくり読む人はあんまりいないんでしょうね(笑)
でも、そういう客層の人たちも楽しめるようになってるのがすごいところ。↓こういうのは、誰が見ても「おー!」ってなりますよね。子供なんて大はしゃぎしてましたよ。
恐竜写真の引用元:coshi.exblog.jp
それと、こういうのもありました↓
科学技術で地球を探る
どんなに理系教科は嫌いって人でも、科学の神秘に対する魅力みたいなものは感じると思うのですが、人の心の奥底にあるそういった部分をくすぐるキャッチコピー。すごくいいと思います。


ちなみに僕みたいな理系大学生はどういう楽しみ方をするのかというと、
水の三重点
(水の三重点の解説か。高校の化学の授業で習ったけど、結構手加減なしで書いてあるなぁ)
※水は普通100℃で沸騰しますが、富士山の山頂だと約90℃で沸騰します。気圧が低くなると沸騰する温度が下がるのですが、それをもっと厳密に表すとこういうグラフになる。
Maxwell方程式
(電磁気学のMaxwell方程式じゃん。なんで扉に書いてあるの? (扉にあるのぞき穴をのぞいてみるとアポロ11号の着陸の写真が見える) Maxwell方程式とアポロ11号ってなんか関係あるのかなぁ? ググっても特別な関係はなさそうだし、これはただの思わせぶりだろうかな)


って楽しみ方をします。僕みたいな客層も十分楽しめるようになっています。


★おまけ★

ついでにアメ横にある地下食品街のアジアンマーケットに、食材を物色しに行ってきました。
アメ横の地下食品街
オーストラリアにいたとき最後の2ヵ月は Ashfield っていう中国人の多い町に住んでたんですけど、こんな店がたくさんあったなぁ。この感じ、超なつかしい。

僕が演劇に惹きつけられるワケ

 年に1回か2回くらいだけですが、芝居を見に行きます。

 宝塚のライオンキングみたいな「ミュージカル」じゃなくて、「演劇」です。
(このあたりの専門用語がよく分かっていないのですが、舞台の上で演技をすることの総称を「芝居」といい、その中でも歌ったり踊ったりするのが「ミュージカル」で、セリフだけのを「演劇」というらしいです)

 今日は僕の思う「演劇のココがいい!」というところを書きたいと思います。
 ですが、言葉にするのが難しいので、とりあえず小説と対比をしながら説明しようと思います。

 ほとんどすべての小説には人物描写があります。顔立ち、背丈、着ている服、職業。ストーリーの中での行動、言葉遣いや会話の内容から思考パターンまで。そういった全てを総合して、読者はその人を”想像”し、頭の中に新しい人間を作り上げるわけです。こんな顔をしてるんだろうな。こんな性格なんだろうな。こういうオーラなんだろうな。その人がもし実在して私と出会ったら、こんな話をするんだろうな、など。

 で、演劇のすごい所は、この架空の人物が、目の前で生身の人間として現れていることです。こんなこと、当たり前すぎて「だからどうした」「それが”演劇”の定義なんだから、言われなくても知ってるわい」って言われそうなのですが、やっぱりこの当たり前をもう一度反芻してもらいたい!

 どういうことかというと、「生(ライブ)の力」です。
 これも僕が今さらここに書くようなことでもないのですが、小説も映画もTVドラマも、極論いえば「現実」ではありません。身の回りで実際に起こる出来事とはほど遠いです。もちろん非現実だからこそいいこともあって、「想像を膨らませることができる」や「DVDだから何回も見ることができる」などがあるのですが、やっぱり越えられない壁があります。そういったことを考えると、一番「現実」に近いのは演劇じゃないかと思うわけです。なぜなら目の前に登場人物がいるから。彼らのちょっとした目線の動きとか、走り出すときの踏み込む力の入れ方とか、リアルだからその分ビビッドに伝わってきます。



 もう一つ上げるとすれば、「演出方法が特殊」という点です。
 すべての芸術作品には、それぞれの演出があります。例えば小説だったら、「登場人物の感情を情景描写に託す」とか「ですます調orである調」とか。漫画だったら「コマからはみ出すと躍動感が出る」とか。そういった細かい工夫の積み重ねが作品の雰囲気を作り上げ、観賞する人も気づかない潜在意識に届き、作品全体の印象を左右します。じゃあ、演劇の演出は具体的に何かというと、正直言ってよく分からない(笑)。これは単純に僕の観賞数が絶対的に少ないのが原因なのですが、普段見ないだけに、劇場に足を運んだ時にはすごく新鮮な気持ちになります。新しくスポーツをやり始めて、普段使わない筋肉を使った感じです。そしてほぼ例外なく、終わった後に「いいもの見たー」って気分にさせてくれます。何なんですかね、あのマジックは。やっぱり「照明」と「音響」かなー。でも細かいことを考え過ぎるのは、マジックのタネをググって調べるのと同じように粋じゃないから、永遠に謎のままにしておきます。

 他にも色々あります。役者さんの声は腹から出てるから、音として気持ちよく聞くことができるとか、台詞のない役者さんも舞台の隅っこで細かい演技をしてるから、一挙手一投足を見てるだけでも面白いとか。ああ、挙げたらキリがない。


 音楽業界だって、Youtubeでタダで見れるにもかかわらず、ライブに行く人は増えています。それは、早くて手軽なデジタルにはないものを、ライブが持っているってことをみんなが知っているから。「ライブはすごいんだ」ってこと。「あまちゃん」とか「リーガルハイ」といったドラマがあれだけ人気になっている今、同じように演技を生で見れる舞台も人気が出てもいいんじゃないかと思うのであります。

 って偉そうに書いてる僕が、年に1回か2回しか行かないようじゃダメですねorz。来月の頭に久しぶりに見に行ってきます。

おいしさには2つの軸がある

 ということについて書きたいと思います。

①主観軸
これはいうなれば、ただの「好き嫌い」です。
例えば、コーヒーはブラックがいいか、ミルクや砂糖を入れた方が好きなのか。
ラーメンは太麺と細麺のどっちが好きか。
寿司の中で一番好きなネタは何か。

こういった好き嫌いは非常に主観的なものなので、個々人にとってのいわば「聖域」であり、他人が口出しをする権利はありません。ラーメンの太麺と細麺の違いに優劣はありませんが、そこに好みの差が生まれてくるのは当然のことだと思います。恐らくですが、こういった違いは先天的なものが原因だと思います。
こういった違いを、おいしさの1つ目の軸「主観軸」と名付けます。全員がそれぞれ自分の「主観軸」をもっているのです。

②客観軸
こちらは誰にでも共通する部分、「客観的な評価」です。
例えばお米を例に挙げると、無農薬を徹底して作り、毎朝水の調整や雑草取りを怠らず、海水を使ってミネラルを補給している農家のお米があります。だいたい5kgで5~6000円くらい。一方で、除草剤と殺虫剤をまいてできるだけ手間のかからないように作り、袋詰めの段階で他の農家の米と混ぜられているものもあります。だいたい5kgで1500円くらい。
これをどっちがいいか比べたら、文句なしで前者に決まってるわけです。 この違いが、おいしさの2つ目の軸「客観軸」です。
客観軸による違いは、「素材の質」や「どれだけ手間がかかっているか」と言い換えることもできるかもしれません。
もしも前者のお米が粘り気がなく、後者のお米は粘り気があったとして「私は粘り気がない方が好きだから、後者の方がいい」という人がいるかもしれませんが、それは①主観軸の話。粘り気のある/ないに優劣はありません。これは”質”とは別次元の話です。

 これら2つの軸は基本的に干渉することなく、それぞれ独立なものとして存在しています(下図参照)
おいしさには2つの軸がある_1


 で、次に主観軸と客観軸のどちらに重きを置くかという話に入ります。
 結論から言うと、僕は1:9くらいの割合で客観軸を重視しています。
 なぜかというと、「舌が肥えている人=客観軸による評価ができる人」だと思っているからです。「よさが分かる人」「センスのある人」と言い換えることもできるかもしれません。逆に言えば、味の分からない人は主観軸に重きを置きすぎているように思います。
 例えば、ファーストフード店のハンバーガーをおいしいおいしいと言って食べる人。正直言って、はたから見てこの人の舌が肥えているとは思えません。「本人がいいと思えばいいんだ」って意見もあるとは思いますが、僕はそういう人にはなりたくないです。そんなことで満足したくない。まず客観的なよさが分かるのが大前提。自分の好みをとやかく言うのはその次の段階じゃないかと思います。

 理由は他にもあって、「それは本当においしい○○を食べたことがないからだよ」というベタな台詞がありますが、これは真理だと思っています。
 僕がこう思うのは個人的な経験によるところが大きいのですが、僕自身”本当にいいもの”を食べて好き嫌いがほとんどなくなりました。コーヒーだってもともとは苦いから好きじゃなかったけど、オーストラリアのカプチーノを飲んだら初めて苦味がおいしいと思った。イカだって噛み切れないところが嫌いだったけど、いいイカを食べたら独特な食感が楽しいって思うようになった。「本当においしいもの」を食べれば、個人的な好き嫌いなんか通り越して「うわー!すげー!」ってなりますよ。僕だけかな?

 さらに理由を挙げるなら、主観軸の話は人には伝わらないという点があります。
 これは当然の話で、主観軸=好き嫌いは先天的なもの。皆が各々の主観軸を持っているので、脳ミソの中身が全く同じでない限り、感じ方が異ります。「日本酒は辛い方がいい」という意見と「辛いのは刺激が強くて舌に合わないから、甘い方がいい」という意見は相容れるはずがないので、議論なんかしてもしょうがないから各々好きにやればいいわけです。
 でも、客観軸はみんなに共通だから、話ができる。例えば「ここのコーヒーは酸味がすっきりしていて飲みやすい」と思えば、それが他のお客さんとの共通の話題になるし、店員さんに話を振ってみれば「実は焙煎方法にこだわりがあるんですよ」と教えてくれるかもしれない。それなのに「自分は苦いコーヒーが好きだから酸味の強いコーヒーはイヤだ」と言ったら弾む会話も弾まなくなってしまう。僕の場合、そういうときには「苦いコーヒーの方が好きだから普段は苦いのを選んで飲んでるんですけど、この酸味はすっきりしていて好きです」って言います。っていうか事実そう思ってるわけだし、少しでも「この人はわかる」って思ってもらえれば、相手もより深い話をしてくれるのです。


 まぁ、この記事に結論は特にないんですけど(笑)、これは食べ物以外でも使えるかもしれないですね。例えばスポーツで「あのチームは正直テクニックは十分でないところがあるけど、変わった作戦を使うことが多いから見ていて楽しいな」という感想。これは主観評価=高い、客観評価=高くない ってことになるわけです。いずれにしても「見る目がある」「センスがある」と言われる人は客観評価を的確に見抜く力があると思いますし、僕はそういう人になりたいな、という話でした。