2018年3月31日

裁判の傍聴に行ってきました 2018

3月某日に裁判の傍聴に行ってきました。

前置きはなしで、早速裁判傍聴した感想に入りましょう。
(3年前に裁判傍聴したときの感想はこちら)。

名古屋地方裁判所
名古屋地方裁判所

① 傷害事件を起こしたおじいちゃんの刑事裁判

感想:加害者(Aさん)と被害者(Bさん)による状況説明の食い違いが印象的。

検察官がBさんに話を聞いたところ、事の顛末は以下の通り。
(1) アパートの共同浴場で、AさんとBさんが口論になった。BさんがAさんを押し倒し、Aさんはその場で数分間意識を失った。
(2) そのあと、2人はそれぞれ自分の部屋に戻った。
(3) BさんはAさんが頭を打ったことを心配し、オロナインを塗るためと謝罪のために、Aさんの部屋に行った。
(4) 2人はAさんの玄関で少し話をしたところ、Aさんは突然包丁をBさんの胸に突き刺した。Bさんは後ろへよろめいた。
(5) Bさんは追撃を避けるためにドアを閉め、管理人の部屋に急いで向かった。
(6) 管理人はBさんのシャツが血で染まっているのを見て、警察へ通報した。
検察によるとBさんは「自分が押し倒したのがきっかけなので厳しい罰を望むわけではないが、相応の処分をしてほしい」と言っている。

そのあと、加害者のAさん(70歳くらいのおじいちゃん)が、弁護士の質問に答える形で、事件の状況を説明していく。自分の印象としては、Aさんは(こう言っては悪いけど)少しみすぼらしい感じの服装で、話し方もおどおどしている感じだった。
Aさんによると、Bさんの話と異なる点は以下の2点。
★BさんがAさんの部屋に訪れた際、とても謝罪をする様子はなかった。BさんはAさんの部屋の中を見て「なんで部屋の電気がついてねえんだよ」などと挑発するような口調だった。Aさんは「Bさんはけんかの続きをするために、わざわざ部屋まで来た」と勘違いした。
★Aさんは突然包丁でBさんを刺したわけではない。一度果物ナイフをBさんの目の前に掲げることで、「俺はナイフを持っている。だから早く帰れ」ということをアピールした。それでもBさんは全く去る様子がなかったので、Bさんの胸を刺した。

この話を聞いていた感想としては、根拠はないけど、Aさんはとても嘘をついているようには見えなかった。多分だけど、2人の話の食い違いに関しては、Aさんの言うことが本当だという気がする。Bさんは嘘こそついていないものの、自分にとって都合の悪い部分はかなり端折って説明していたようだ。でも、裁判には黙秘権があるのと同じように、言いたくないことは言わなくてもいいので、しょうがないのかなと思う。
その後もAさんは弁護士からの質問に答えた。以前もカッとなって事件を起こしたときの反省をふまえて(今回の事件は釈放から3か月後のこと)、最初の口論でカッとなったけど気持ちを抑えて部屋に戻って寝ようとした。その時にBさんが来てしまったというタイミングが悪さについて述べていた。また、あらかじめマンションの管理人に「けんかはだめだ」と言われており、とにかくBさんに早く去ってほしかったという気持ちが強かったと述べていた。

判決の言い渡しは後日なので、その後のことは分からない。しかし、おじいちゃんは頼れる身内や親戚もおらず、今回の事件を起こしたことで生活保護を打ち切られるらしい。あのおじいちゃん、これから一体どうするんだろう。

② 判決言い渡し後の、弁護士による被告人のフォロー

刑事事件の判決言い渡しは、5分~10分で終わります。裁判官が判決文を読み上げるだけだからです。判決文には事件の概要が含まれているため、おおよそのあらすじはそれを聞くだけでわかります。また、判決の理由として「○○(起こした事件/事故)に関して罪は大きい。しかし××(反省しているなど)に関しては考慮すべきである。よって総合的に判断して、刑は・・・とする」という流れなので、事件/事故の中の争点についても理解することができます。
さて、とある交通事故の判決言い渡しを聞き終わったあとのこと。トイレに行ってからエレベータで1階へ降りていた時、自分が直前まで傍聴していた裁判の被告人+家族+弁護士とエレベータ内で一緒になりました(千葉で裁判傍聴したときと同じだ…)。

その裁判の判決は、懲役1年 執行猶予3年でした。

弁護士は被告人の男性(20代後半くらい)に「3年以内に事件や事故を起こすと、1年の懲役が確定しちゃうから、3年間は車を運転しないようにしてね」と優しい口調で、でも強く念押しをしていました。母親は「どれくらいの事故で刑が確定してしまいますか」と聞き、弁護士は「事故の大きさにもよりますけど、交通事故なら物損でアウトになることもありますよ」といい、被告人は「そうですか…」と落ち込んでいるようでした。
狭いエレベーター内に一緒にいて感じた空気としては、あの場に弁護士さんがいるから、あの家族はまだ助かってるんだろうなと思いました。判決の言い渡しという、これからの生活の大変さが具体的にわかったブルーな状況の中で、「この人の言うことを聞けば大丈夫」という頼れる人がいるのは本当にデカいと感じました。

③ 自転車に乗っている学生と接触事故を起こした運転手の刑事裁判

感想:人間の気持ちの弱さを正論で攻める検察官がきつい・・・

事故の概要
(1) 信号を右折した車が、横断歩道を渡っていた自転車(大学生)に気づかず接触事故。大学生は自転車から転倒した(のちに骨折していることが判明)。
(2) 運転手は車を停めて大学生にもとに駆け寄り、「大丈夫ですか」と声をかけた。大学生は「大丈夫です」と返事をした。その場で2人は1分ほどやりとりをした。後ろに車が詰まってきたこともあり、運転手は「本人が大丈夫と言っているから大丈夫だろう」と判断し、車に戻って仕事へ向かった。
(3) 運転手は自分を戒めるために、翌日事件の現場へ向かった。そこで「加害者を探しています」という看板を発見。コトが大きくなっていることを知り、責任を感じて警察へ出頭した。
(4) のちに大学生の父親が運転手に対して民事訴訟を起こしたが、運転手はネットで「民事訴訟は取り下げが可能」という情報を読み、大学生の父親に起訴を取り下げるよう直接連絡をしてしまった。大学生とその家族はそれを聞いて恐怖を感じ、両親の意向で大学生は引っ越しをすることにした。

被告人の運転手に対して、検察官のツッコミが厳しかった。検察官は正論で、反論や言い訳のしようがない質問だった。

● 大学生と接触事故を起こしてしまった直後、なぜ自動車学校で習ったような救護措置を行わずにすぐに去ってしまったのか?
● 大学生と接触事故を起こしてしまった直後、なぜすぐに警察へ出頭しなかったのか?
● 事故当日に出頭しなかったが、せめて翌日にでも出頭するべきではなかったのか? 事件現場で看板を発見したのがきっかけで出頭したが、もし看板がなかったら出頭しないつもりだったのか?
● 大学生の父親に民事訴訟取り下げを申し入れたことが、相手に余計な心配をかけさせる行為だとなぜ気づかなかったのか?
● (被告人の「訴訟取り消しが可能とネットで調べて見つけた」という発言に対して)ネットのその情報に、執筆者や責任者の表示があったか確認したか? ネットの情報は玉石混交ということは知らないのか?

被告人もすごく真面目な性格なのだろう。なんとか質問に答えようとしていた。が、全く答えになっていなかった。

被告人を正当化するつもりはないけど、そういう行動をとってしまう気持ちはすごく分かる。というか、自分でも同じことをしてしまうと思う。どうしても、逃げたくなってしまう。
検察官の言うように、本当は出頭するべきなのはもちろん分かっている。
でも、もしかしたら大学生はちょっとケガをしただけで、大したことないかもしれない。ワラにもすがる思いで、自分のやってしまったことが小さなことであると祈るのだ。
もしかしたら大学生やその両親が加害者を探しているかもしれないけど、「あの事故は大したことなかった」と言い聞かせる。布団を頭までかぶって、自分の気持ちや周囲のドタバタが落ち着くまで隠れるのだ。実際、警察沙汰にならないような小さな事故なんて山ほどあるじゃないか。あの事故も、きっとその中の1つなんだ。

検察官も、当然被告人がそのような分かっていると思う。あくまで予想だけど、被告人に反省を促す意味で、あえて厳しい質問をしたのだと思う。本人は当然反省しているが、ここはさらにもう一歩踏み込んで追い打ちをかけることで、「自分で反省したからもう大丈夫」と甘い考えまでも断ち切らせるのだと思う。「裁判はこわい」と身を持って思い知らせることで、結局は本人のためになるのだと思う。実際、自分も検察官の質問攻めは見ているだけで怖かった。もしも自分が事故を起こして誰かを怪我させてしまったときには、あの裁判の様子を思い出すと思う。

裁判の感想は以上になります。こうやって自分が書いた感想を読むと、いずれも加害者側に共感していますね。刑事事件なので被害者はその場におらず、加害者だけが法廷にいます。おそらく、目の前にいる人に対して気持ちが同調してしまうのでしょうね。

2018年1月3日

岐阜の読書会に行ってきました

先月の12月16日(土)、ものの本企画が主催する第31回 みとのまち夜明けの読書に参加しました。

友人と好きな本の話をしていたときに「読書会って参加したことある?」と聞かれたのが、2016年の11月。
読書会に興味を持ち、ネットで調べ、初めてこの読書会に参加したのが、同年12月。
今回で、1年ぶり2回目の参加です。


▲柳ケ瀬商店街

会場は岐阜市の柳ケ瀬からほど近い、美殿町の FIELD という店の個室です。本とCDが所狭しと並んだ、素敵なお店です。


▲長良橋通りから2本裏に入った、閑静な通り沿いにFIELDはあります。あまりに店っぽくない佇まいのため、過去には店のすぐ前でグーグルマップで場所を調べていた人がいたそうです(主催者談)

今回の参加者は5人(うち1人は主催者)。課題本は青梅雨(著:永井龍男)です。
19時、夕飯を注文したところから読書会は始まりました。

『青梅雨』は、自殺することを決意した家族の最後の1日を描写した、30ページほどの短い話です。とてもその日に自殺するとは思えないほど静かで穏やかな家族ですが、その1人が最後に泣き声を抑えきれなくなってしまうところで話は終わります。
(この他にも12の短編が入っているのですが、読書会ではほとんどこの表題作についての話に終始しました)。

自分は読書会の1か月ほど前にこの本を購入して2周読んだのですが、正直、2回読んでも全くピンときませんでした。

なんとなくいい話だというのは伝わってきます。しかし、作者が何のためにこの短編を書いたのか、読者はこの作品から何を読み取ればいいのか、そして、この作品が傑作だといわれる所以はなんなのか、全く分からなかったのです。

最初に参加者がそれぞれこの作品に関する感想を話したところ、自分と同じように作者の意図を読み取りたい派(以降「読み取る派」)が3人、逆に素直にいい話だと受け止め、理由は探らない派(以降「読み取らない派」)が2人でした。両者の間には作品に関するとらえ方、小説を読むときの姿勢など、根本に大きな違いがあります。
この違いが大きなテーマとなって、話が進みました。
ある読み取る派の参加者の方は、自らが登場人物の一人になってしまうほど物語の中に入り込み、「なんで自殺なんてするの? 生きてればいいことあるのに!」と問いかけます。しかし、読み取らない派の参加者の方は「それよりもこの作品は、死に至るまでの過程と最後に泣き出してしまう感情の揺れ動きに惹きつけられる」と、あくまで死に対してはクールにとらえています。2人の言うことは全く真逆で相容れないように見えましたが、話をするにつれて、これは単に立ち位置の違いに起因する解釈の違いだということに気づきました。つまり、物語の内側まで入り込むのか、外側から俯瞰するかが異なるだけなのです。
そこから話は、「もし作者(永井龍男)が生きていて目の前にいたら、何と聞く?」という話に発展しました。

最初は絶対に埋まらないかに見えた両者の断絶が、『青梅雨』に関する感想が媒介となって、少しずつ地続きになっていくを感じました。

自分としてはこの作品に対する理解を深めるためにも、「この作品はいい」と感じられる感性の正体について迫りたかったです。
僕は他の参加者の方に「自分もこの『青梅雨』を素直にいいと感じられるようになりたいので、どこがいいと思ったのか教えてくれませんか」と難しい要望を出してしまいました。結果、ひざを打つようなきれいな回答は得られませんでしたが、頭を悩ませてなんとか説明しようとしてくれました。
読書会の前、僕としてはこの作品が評価される要因は、その写実性ではないかと予想していました。つまり、自殺する家族の最後の1日という関わる機会のない状況について、手にとれるような形にまでリアルに淡々と描写した部分が、美しい短歌のような芸術性があるのではないかと思っていました。
その質問をぶつけたところ「多分そういうことではない」という答えでした。この作品は、海の向こうの大陸のように、僕の見えないところにまで広がっているようです。
しかしこれも、「分かろう」としている限り、永遠に分からないのだろうと思います。

20:30終了のはずの読書会も、気づけば21:30をすぎていました。
会計を済ませ、店の人にもお礼を言います。
みなで話をしながら、心なしかゆっくりとした足取りで、駅の方へ向かいます。

忘年会シーズンまっただかなの12月16日。長良橋通りは2次会へ向かう人で、いつもより混んでいました。

みながJRに向かう中、名鉄に乗ったのは自分一人。帰りの電車の中で『青梅雨』を再読しました。やはりまだ「理由を語るまでもなくいい」と言えるほどにはなっていませんでした。

さて読書会の感想は以上になります。

2時間半語り合った中で話はいろんな方向に広がりましたので、僕の解釈をもとに盛り込めなかった話を箇条書きで書き出しておきますと・・・

(以下、作品を読まないと分からないものもありますので、ご了承ください)

・たかだか50万円で死んでしまったのは、時代性(生活保護がない・恥の意識が強い)に関係ない。同じ金額でも人によって重みが違うので、この人たちにとっては自殺という選択をするのに十分な金額だった。今の時代でも「学校でいじめられた」という理由で自殺する子供に対して「それくらいで自殺することないのに」というが、その子にとってはそれくらい大きなことだった。他人が「自殺しなければよかった」「してもしょうがない」ということではない。死というものは、非常に個人的なものである。

・読み流してしまうような1単語・1文についても推敲されているのが分かる。そこから書かれていない部分についての想像の扉を開いてくれるものが選び抜かれている。例えば札というのは、頼りないもんだね。(中略)(つり銭の500円札を)銀貨に換えてもらった。この方が、よっぽどしっかりしているという台詞から、お金の重みを大切にしていることが分かる。そこから連想して、借金を返すために、お金集めに大変苦労した背景までもが想像できる。

・文語で書かれており、普段使わない単語が多く使われているこの作品を、僕が「古さを感じる」と言ったことに対して、「その感想が衝撃だった」との意見があった。もしかしたら、このような洗練された本に触れる機会が少ないことによる、世代の差ではかもしれない。
また、最近の本は文章に美しさがなく、推敲しているとは思えない。あってもなくてもいいような単語や文が多い、という人もいた。
(という意見を聞いて、僕のこんな文章をブログに掲載してしまっていいものかと不安になりました。しかしながら、参加前に「ブログに書いてもいいですか」と了承を取ってしまった手前、やっぱり書かないというのも申し訳ない気分になります。精一杯頑張りましたが、駄文であることを自覚したうえで、公開します)

2017年10月25日

『ムジカ・ピッコリーノ』への思いを全部書きだす

前回の続き。

タイトルの通り、5年間NHKのムジカ・ピッコリーノを見てきた感想を、全部書きだそうと思います。

今回も前回同様に番組を知っている人向けに書きますので、番組内の用語は解説なしでバンバン使っていきますので、よろしくです。

第1~2シーズン

・演奏での「工夫」っていう意味では、このシーズンが一番好きだった。
ドラム・ギター・ピアノ・トロンボーンっていうだいぶ無理のある編成であらゆるジャンルに挑戦していたのが、見ていてワクワクした。例えば『Chaiyya Chaiyya』は、正直「これインド音楽やってるけど、インド音楽になってないんじゃない?」って思ったし、他にもそういう回は結構あった。でも、本当にインド音楽が聞きたいならインド音楽のCDを買えばいいわけで、NHKの教育番組っていう背景も含めて、出演者が子供・大人関係なく、みんなでどんな音楽も楽しく演奏している姿はとても好印象だった。『You can't hurry love』に至っては、もはや演奏を放棄して3人でタンバリン叩きながら歌ったり、『コンドルは飛んでいる』ではみんなで不慣れなリコーダー吹いたり、次は何を見せてくれるんだろうという面白さがあった。このような期待感は、担当楽器がほとんど固定だった第3シーズン以降にはなくて、第1~2シーズンの特徴だったように思う。
・このときってコーラスがすごくきれいだと思う。今これ書きながら久しぶりにCDを聞いてるけど、『You can't hurry love』『北風小僧の寒太郎』のコーラスでは「お!」ってびっくりした。
・モンストロの声って、どうやって作ってるんだろう? 人の声を変えているのか、ボーカロイドみたいなもので全部パソコンで作っているのか、ちょっと気になった。
・『4分33秒』の回はかなりの変化球だったけど、すごく良かった。どこかのサイトに「普段はCG背景だけど、現実世界に舞台を移したのが逆に異世界」みたいなことが書いてあったと思うけど、ホントその通りだと思う。その「いつもと違う感じ」が『4分33秒』っていう現代音楽の突拍子のなさをうまく表現したから、面白かったんだと思う。
・完全に話がそれるけど、NHKのEテレが面白くなってきたのは、このころ(2013年)からですね。『考えるカラス』をはじめ、『知恵泉』『昔話法廷』あたりは見てたけど、いずれも素晴らしいです。

第3~4シーズン

・いろんな楽器について知ることができたのは本当に勉強になった。今まで聞いてきた曲の中で、ちょっとした効果音的に使われてきた楽器にも気が止まるようになって、音楽の聴き方が深くなったと思う。
例えば、ビートルズの『Strawberry Field Forever』のイントロの音色はもちろん知っていたけど、それがメロトロンという楽器だとは知らなかった。 D'angeloの『Another Life』について、どっかで「シタールが使われている」と読んだときも、この番組でシタールについて知っていたからこそ「え、シタール使ってるの?」と引っかかった。知ったうえで改めて聞いたら、一発でどの音がシタールか分かった。
テルミンなんかも、ライブでちょこっと使ってるバンドがいるけど(エルビス・コステロとか)、当たり前だけどテルミン専門のプロ奏者がいるなんてことも知らなった。
・番組CDはどちらもよかった。買う前は本編中のセリフを再構成したラジオドラマが収録されているというのを知って「そんなのいらないから、曲だけ収録してくれればいいよ」と思ってたけど、実際に聞いてみたらいい意味で期待を裏切られた。曲と曲の間に、ブリッジとして本編中の台詞が入っているおかげで、アルバム全体としてまた1つの世界観を作り出していて、ある意味コンセプトアルバムっぽくなっていた。あと、みんな地の声がいいから(特に鈴木慶一とオダギリ・ジョー)、耳あたりがいい。普通にしゃべってるだけなのに「音楽」として聞ける。曲順としては、第1~2シーズンのときみたいに曲とBGMが分かれてるより、適度に混ざっている方がいいですね。
・CDに挿入BGMがフルバージョンで入ってるけど、番組中では10秒くらいしかかからないのに、ゴンドウさんがどれも2分~4分くらいの尺でガッツリ作ってるのにびっくりした。
・チャランポランタンはこの番組で知った。『黒ネコのタンゴ』のコーラスにビビッときたので、Youtubeでいろいろ聞いてみたらよかった。それからマークしてます。来年1月は、岐阜市の柳ケ瀬antsへライブ見に行きます。
・少し不満になるんだけど、第3,4シーズンの解説VTRは面白いのが少なかった。まあ、楽器の仕組みや音の出し方を解説するのが多かったから、どうしても理屈っぽくならざるをえないので、しょうがないとは思う。
・SAKEROCKメンバーが多くて、全国のSAKEROCKファンは結構興奮していたと思う。僕もその一人。解散後だったからなおさら。

第5シーズン

・レオ すげー!というのが最初の感想。初回の『学園天国』でアリーナに「きみ、本当に弾けるの!?」と挑発されて、レオが初めてピアノを弾くシーンは、想像をはるかに上回る運指に度肝を抜かれました。第一印象でノックアウトにする素晴らしい演出だったと思います。他にも、レオを生かした『どれにしようかな 天の神様の言うとおり』のジャズアレンジがあったけど、かなり攻めててかっこよかったです。わらべ歌の回は、第5シーズンの中ではかなり好きな回でした。
・シーズンを追うごとに、演奏中のアリーナの演出がかわいくなっていて、第5シーズンでは一番惹きつけられました。『One More Time』でルチオが「Oh Yeah」と言った後にニコッと笑いかけるシーンとか、『スリラー』の回のホラーをイメージしたちょっと怖い顔つきとか「役者だなー」って思った。『sing sing sing』でソロをレオにじゃまされたシーンは、ルチオもアリーナもすっごくいい顔してた。
・ちょっと期待外れだった点を書くと、楽曲としては「無茶じゃないか」と思うくらいチャレンジしてるのが見たかったな、っていうのが正直な感想。
さっきも書いたように、第1シーズンでは失敗を恐れずに挑戦する姿がよくて、しかもみんな楽しそうだったのがよかった。
第3~4シーズンは演奏してるのが一線で活躍してる人たちばかりだから、どんな曲やってもちゃんとかっこよくなるだろうと期待していたし、実際に期待以上だった。
第5シーズンはというと、プレイヤーがうまいから当然見ていてかっこいいんだけど、みんな10代だし、NHKの教育だし、1回くらい「失敗作」も見てみたかった。ゴンドウさんが大人げなく無茶なアレンジをして、みんながお手上げするくらいの回が見たかったなって思う。そんな中でも、Daft Punkの『One More Time』はかなり攻めてて、第5シーズンの中では一番好きだった。あの感じをもっと発展させて、第3~4シーズンのときみたいに「2年目で爆発」っていうのを見てみたかった。あの編成が1年で終わってしまったのもちょっと消化不良だったんだけど、期待しすぎだったかなー。

来週はアリーナ登場の最終回「修了式」。楽しみにしてます。

2017年10月18日

『ムジカ・ピッコリーノ』の解説VTRのベスト3を勝手に決める

NHKのムジカピッコリーノで、アリーナが卒業してしまいますね。
番組が終わるのか続くのかは分かりませんが、いずれにせよ、1つの区切りとなるのでしょう。

ムジカ・ピッコリーノ 公式HP

さて今回は、ムジカ・ピッコリーノを第1回からずっと見ているファンの私が、独断と偏見をもとに、面白かった解説VTRトップ3を選びたいと思います。
曲ではなく、あえて物語中に挿入される解説VTRに焦点を当てます!

今回は番組を知っている人向けに書きますので、番組内の用語は解説なしでバンバン使っていきますので、よろしくです。
あと、録画が残っているわけではないので、ぜんぶ記憶をもとに書きます。細部は違ってると思いますが、あしからず。

● 音を並び替えると (上を向いて歩こう / 坂本九)

第1回の最初の解説VTRですが、その前に・・・
このVTRを見る前からすでに、だいぶ期待は高まっていました。ハマケンが出る音楽番組は面白いっていう前例があるから(詳しくは後述)、見る前から楽しみにしていたのですが、さらに始まって最初の数分で、世界観に惹きつけられました。「おお、この番組はなかなかいいんじゃないのか?」と胸を高鳴らせていました。
第1話のストーリーとしては、モンストロが発するのは「レミソソソラシ」の音。「これを正しい順番に並び替えれば、モンストロがよみがえるはずだ!」「でも、並び方は全部で840通りあります」というところで、「音を並び替えると」というナレーションとともにこのVTRが挿入されます。
VTR内には「レミソソソラシ」の子供用の鉄琴が用意され、小さな階段(ピタゴラスイッチ的な)に設置されます。上から小さなボールを転がすと、ボールが落ちた衝撃で順番に音が鳴るというものです。
1通り目は「レミソソソラシ」。鉄琴を並び替えて、2通り目は「ミソシソレラソ」。3通り目は…のように、次々に鉄琴を並び替えてはボールを転がし、右上のカウントは1,2,3・・・と増えていきます。最後に8通り目の「ソソラシソミレ」の音が鳴ったところで、画面真ん中に「残り832通り」と出て、VTRは終わるのですが、実は最後が正解。「上を向いて歩こう」の出だしのメロディーになっているのです。
この1分ほどの短いVTRを見た瞬間、あまりの分かりやすさに衝撃を受け、「この番組はアタリだ!!」と確信しました。それがきっかけで今までの5年間見続けてきたわけですが、あの時の確信は時がたつごとに確かなものになっています。
そういえばちょっと前の放送で、久しぶりにアリーナがドットーレとペペさんと『上を向いて歩こう』を歌い、最初に治療したモンストロと久しぶりに再会したシーンは、ちょっと感動的でした。

● デスボイス (Aces High / IRON MAIDEN)

デスボイスの解説VTRです。このVTRはショートドラマ仕立てでした。
とある若い女性が、彼氏に振られるところから物語が始まる。帰り道をトボトボあるいていると、知り合いのおじさんと再会し、海へ連れて行ってもらう。
「そっか、○○ちゃん彼氏にフられっちゃったんだ。そういうときは、海に向かってバカヤローって叫ぶんだよ」とおじさん。
バ、バカヤロー
「そうじゃなくて、もっと大きい声で」
バカヤロー
「そうじゃなくて、こうやって叫ぶんだよ」
と言っておじさんが上着を脱ぐと、全身に甲冑のような衣装。
「バカヤ ロ~~~~!!!!」とデスボイス(というか、金切り声)で叫ぶ。
女性も負けじとデスボイスで「バカヤ ロ~~~~!!!!」(この女の人、声楽やってる人だと思う)
「そうその調子! バカヤ ロ~~~~!!!!」
「バカヤ ロ~~~~!!!!」
という、これも1分ほどのVTR。
これに限らずだけど、ムジカ・ピッコリーノの解説VTRの中で、ショートドラマ仕立ては面白いものが多かったですね。芸術的な「感性」を分かりやすく説明するために、音楽の枠を迷いなく「ひょいっ」と飛び出し、ジャンル問わずあらゆるものを吸い込みながら形にする表現力は、見習わないといけないと思いました。

● サンバをゆっくりにするとボサノバになる (イパネマの娘 / Astrud Gilberto)

これもショートドラマ仕立て。舞台は小学校の教室。
男の子が女の子に告白しようとしている。手にはバレンタインのチョコレート。横にはBGMとして、ギタリストがゆったりとしたテンポでボサノバのメロディーを弾いている。
男の子「あの、○○ちゃん・・・・・僕・・・○○ちゃんのことが、、、」
次第に男の子が緊張をし、心臓の音がだんだんと早くなる。
早くなる心臓の音に合わせて、ギターのメロディーもだんだんと速くなる。
ボサノバのメロディーが早くなったところで、横からサンバのカーニバルが登場。教室内でサンバの衣装を着た女性がステップを踏み、男の人はホイッスルを鳴らしたり、タンバリンをたたいたりする。
女の子が「落ち着いて」というと、男の子の心臓の音はだんだんとゆっくりになる。
それに合わせてギターのテンポもゆっくりに。
サンバのカーニバルもだんだんと画面の外へはけていく。
男の子「あの、○○ちゃん・・・・・僕・・・○○ちゃんのことが、、、」
と再び告白しようとするが、やはり緊張をし、心臓の音がだんだん早くなる。
早くなる心臓の音に合わせて、ギターのメロディーもだんだんと速くなる。
そして再び、サンバカーニバルの登場。派手な衣装を着た女の人は踊り、男の人はホイッスルを鳴らしたりタンバリンを叩いたりする。

これは笑った。秀逸だったなー。

似たようなストーリーではあるけど、ガタンゴトン (Chaiyya Chaiyya) も面白かった。

今気づいたけど、これって全部第1期ですね(笑) 他にもいいのがたくさんあるので、感想少なめですがズラっと並べていきます。

□ 野菜ラップ (東京ブロンクス / いとうせいこう)

野菜とラップっていう組み合わせが面白かった。あと、これを見て以降、東京ブロンクスはお気に入りに曲になりました。

□ 手拍子 (La Cumparsita)

客が居眠りしているウェイターを手を叩いて起こす。ウェイターは手拍子と足踏みをしながら客のところへ寄ってくる。2人は至近距離で向き合って、手拍子・足拍子のセッション。最後に手をたたいて料理をほめる。

□ トロンボーンのミュート (Chattanooga Choo Choo / Glenn Miller)

同じ曲を、違うミュートで聴き比べするVTR。多分ミュートの解説方法の中で、これより分かりやすいものはないんじゃないかと思う。
まったくひねりのない直球の解説だったけど、そのひねりのなさが、この番組としては逆にひねってあるように感じられました。

□ パンデイロ (Mas que nada / Sérgio Mendes)

パンデイロ1つでドラムセットの音が再現できることを解説するVTR。
何もないところで、女の子が椅子に座り、ドラムをたたくふりをする。エアギターならぬエアドラム。しかし、ないはずのドラムの音が聞こえてくる。しばらくすると横からパンデイロをたたく男の人が登場する。音の正体はパンデイロでした、というVTR。

□ ギターのカッティング (ラブ・ストーリーは突然に / 小田和正)

真面目そうな解説のお姉さんが、メガネとカツラを投げ飛ばして踊り始めるオチで吹いた。

□ ハーモニー (Don't Stop Me Now / Queen)

『Lollipop』のハーモニーがめっちゃきれいだった。ていうか、第5期は cero のサポーター率が高かった。角銅真実、古川麦、Smooth Ace。そのへんの人脈つかって引っ張ってきてるのかな。他の人たちも、全員しっかり調べてみると、つながりが見えてきたりするのかも。

□ 鳩ぽっぽのサンプリング (One More Time / Daft Punk)

同じ曲を並び替えると違う曲になる、という解説。同様『鳩ぽっぽ』がサンプラーでめっちゃかっこよくなった。
VTRに出演した KEIZOmachine! さんが、番組でやったのとほぼ同じ内容の動画をアップしていたのでリンクします。

□ 言葉の響き (Ievan Polkka)

金剛地武志がドラムをたたいた後、なぜかドラムが食卓に変身する。しかし、目の前に置かれた「コップ・カップ・サラダ・だいず・とろろ・フライパン」など組み合わせて叫ぶことで、言葉の響きだけでドラムの音を再現してしまう。目の前のものが習字セット・色鉛筆などに変わっても、さっき叩いたドラムの音色を再現してしまう。考えてるときの金剛地武志の顔が面白かった。
「食卓に乗っているものを組み合わせて、ドラムの音を再現する」っていうのが分かりにくいと思うので、解説します。こういうことを書くのは野暮だと思うんだけど・・・。
まず「コップ・カップ・コップ・カップ・・・」と交互に繰り返すのが、8分音符でハイハットを鳴らしながらバスドラとスネアを交互にたたく「ドッ、カッ、ドッ、カッ」っぽくなっています。次に「とろろとろろとろろ」と繰り返すのが、タム回し。最後に「フライパーン!」がシメのクラッシュになっているわけでございます。

さて、こんなところでしょうか。思い出したら追加するかもです。
ちなみに、「番組の大ファン」って言いながら今さらなのですが、全部の回を見てるわけではないので、見逃してるのもだいぶあります。パソコンはよく録画失敗するし、何より第2シーズンの時は1年間オーストラリアに行っていたから、丸々見れてないです。再放送もチェックしてましたが、全部は拾えていません。すいません。

そういえば、「ハマケンが出る音楽番組は面白い」って話がありましたね。

「前例」って書いたのは、SMJ(全日本スキマ音楽)っていうラジオ番組のことです。
ハマケンってトロンボーンが専門で、ギターもシンセもボーカルもできるミュージシャンではあるんだけど、それと同時に、演技ができる役者でもあるし、キャラも立っててバラエティ的にも面白いんですよね。だからハマケンが出る音楽番組は、音楽以外の要素も取り入れた感じで作ってあって、「ただの音楽番組」にならないから、複合的・階層的で面白いんですよ。前述のSMJってラジオ番組では、ハマケンの弱気だけど憎めない感じのキャラが東京03の角田によって存分に引き出されていて、ほっこり笑えるフリートークだったし、でも音楽的にもあらゆるジャンルにMIDIで挑戦するのが面白くて、聞く側としては勉強になって、オークラさんの歌詞も素晴らしく(これがデカい)、最高に面白い番組でした。SMJを聞いて「ハマケンの出る音楽番組って面白いんだな」って気づいて、今回のムジカ・ピッコリーノも楽しみにしていたわけです。

ああ、なんだか書きたいことがいろいろ湧いてきた。

次の記事では、ムジカ・ピッコリーノを見てきて思ったことを全部書きだそうと思います。

2017年6月7日

ceroの音楽の変化とともに、趣味が変わる

cero の新曲「陸の上の晩餐」が素晴らしい。

KIRINビールのための書き下ろされた新曲で、2つの味に合わせて2種類のアレンジが用意されている。JPLのほうがポップで聞きやすく、再生回数が多いが、ceroにとって新機軸なのは IPL の方だろうと思う。

新機軸。ceroは次々と脱皮を繰り返していくバンドだ。その変化のスピードは目を覆うばかりで、何度も驚かされてきた。

僕はceroを聞くようになったのは、去年(2016年)の1月と比較的最近だ。在日ファンクが cero とツーマンでライブをやるというので、予習したのがきっかけだ(なので、まだファンとしては新参者です)。
Youtube で聞いた Contemporary Tokyo Cruise が耳からこびりついて離れなくなり(いかないで 光よ 私たちは ここにいます 巻き戻しして…)、最初に購入したアルバム『My Lost City』からのめりこんだ。買ったのがライブ前日だったため、もっと早く買ってライブまでに聞き込みべきだったと後悔した。

それからはWorld Record, Yellow Magus, Orphans, Obscure Ride と、リリース済みの CD を次々と購入した。2016年はこればっかり繰り返して聞いていたように思う。まるで2016年は、 cero の通ってきた道を1年間に凝縮したようだった。

cero の音楽の変化に合わせて、僕の趣味も確実に変化した。特に、3rd アルバムの Obscure Ride を聞いてからはそのように思う。このアルバムを最初に聞いたときの正直な感想は「なにこれ、全然楽しくないじゃん」だった。リズムは遅いし、全体的に落ち着きすぎてる、と思った。でも何度も何度も聞くうちに、このゆったりとした心地いいリズムが、だんだんクセになってきた。
この音楽が「ネオソウル」だと知ってからは、すぐに D'Angello の Voodoo と Black Messiah を買った。一発で好きになった。どちらのアルバムも、今では大のお気に入りだ。

しかしこうしている間にも cero はさらに変化を続けていた。昨年のModern Steps Tour ではサポートメンバーを一新して新編成となったが、昨年12月に名古屋で見たライブでは、これまでの曲も全く別のものに生まれ変わっていた。恐らく今は AOR の方向に進んでいるのだと思う。ライブポスターは Steely Dan の Gaucho のパロディーだったし、陸の上の晩餐は、僕の知ってる音楽の中では、Fourplay の Between the Sheets に雰囲気がそっくりだ。
しかし実は、個人的にはAORに対して苦手意識がある。幼い頃に父が車の中で Fourplay をずっと流していたのを聞いていたのだが、あれは子供には難しすぎた。そのころの名残で、今でも若干の拒否反応があるのだ。

ceroをきっかけに、AORへの苦手意識も拭い去れるのかな。

さて、次のアルバムは新編成となってから初の音源となるので、どうなるのか期待しています。とはいえ、シングルが出たばかりだから、しばらく待たなくてはいけなさそうですけどね。本当はこの最新のシングルのよさについても語りたいのですが(特に街の報せのPVは本当に素晴らしい)、僕の言いたいことが全部書いてあるサイトがあったので、リンクを貼るにとどめておきます。

ceroの新曲「街の報せ」邦楽と洋楽のいいとこどり - BASEMENT-TIMES

僕のつたない文章ではあれなので、終わりに cero をより一段深く理解するための道しるべとなるサイトをリンクします。

公式サイトのインタビュー集

『My Lost City』は、君の足元に その1 ~ceroの音を聴け~Add Star - 静寂(しじま)を待ちながら
cero『My Lost City』 - 青春ゾンビ

cero 『Obscure Ride』(Raw) - いまここでどこでもない